あの人を笑わせたくて…。

壁からヒョコッと顔だけ覗かせて、笑顔で私は語りかけた。
 
「ああ、はい」
と、その人は言い、やっぱり笑わない。
 
今日もダメだったか・・・。と私は思った。だいたい、笑顔で話しかければ、相手がつられて笑うのに、この人は絶対に笑わない。
笑わない人を見ると、なんとか笑顔にしたいという欲望がふつふつと湧いてくる。
 
笑わないのにはいくつかの理由があるように思う。もともと笑う習慣がない、自分の感情を隠すため、怒っている、相手のことがキライ、それか、照れている場合である。
 
この人との付き合いは短いので推測の域を出ないが、もともと笑う習慣がないか、照れ屋さんなのだろうかと思う。もしかしたら、私のことがキライだったりして(笑)でも、さり気なく「ちぃちゃん」と呼ぶので、大キライというわけではないと思う(たぶん)。
 
もうちょっと慣れていたり、話しやすい雰囲気であれば、あらゆる言葉や態度を駆使して笑わせることも可能であるけれども、この人は顔の見えないときには笑ったような声をするのにもかかわらず、目が合っているときには笑わないような気がする。冗談も、ボソリと言う。
 
なんだか、この方が私のツボである。好きとかそういう色気のある話ではなく、もの静かだけれども、個性がとっても出ており、ときに話すとボソリと名言を言うのである。時おり話される言葉から、この方が物事を前向きに捉えることが窺える。他者を成長させてくれるようなことを言ってくれるのだ。
 
この人は、ほとんど話さないけれども、表面に現れる言葉以上に多くのことを外の世界から受けとり、感じとって、そして思考を巡らせているということが、言葉の端々から見えてくる。寡黙な人なので、さり気ない心配りをしてくれる人である。
 
お酒を飲めばよく話すというので、その姿を見てみたいような気がする。

(相談)教育者として失格の親を持った娘たち。

妹がわがままを言う。
自分は正当なことを言っているようにしか見えないが、私から見ればそうは見えない。
 
自分でできることを、母親にやれ、と命令口調で言う。
私からすれば、母親に命令すること自体がおかしな話であるし、命令する理由もない。そもそも、母親に命令する前に自分でやればいいだけの話である。
 
「自分でやればいいでしょ」と突っ込むと怒り出す。
さらには、母親がゲームをしていることにまで文句を言い出す。
 
「(妹)だってゲームをしているでしょう。ママがゲームをしているのを、自分の都合で止めてはいけない」というようなことを言ったら、泣いてコタツに潜ってしまった。
 
これが幼稚園児ならいいけれども、これで今年成人かと思うと、心配になる。ちなみに、何十分も泣いている。これくらいで泣いていては仕事なんぞできたもんではない。
 
私の言葉の意図を理解して改善すればいいだけの話だ。ただ、私の説明が足りないのか、言い方が悪かったのかと思い、説明を試みようと近寄っていったら、「触るな」と怒られた。
 
これは妹の責任というよりは、両親の育児の悪さである。それを母親が気づいていないのだからどうしようもないし、言ってもどうにもならないので、言うつもりもない。
 
私が様々なトラブルを幼少時からいろいろと経験したように、妹も同様であった。ただ、私の場合は、まだ親権争いだったけれども、妹の場合は最悪で、両親の仲が最低最悪という状態である。そんなことだから、教育どころの話ではなかった。まだ私の場合は第一子でもあったし、祖母がいたから良かったけれども、妹の場合は、両親はケンカするばかりで、悲しい光景および、父親が破滅する姿まで見た(だから本当にかわいそうであった)。
 
まぁそれで、誰も妹を教育してあげられていない。親がああなっているだけに真面目に生きようとはしているようだが、親の庇護下にいるのにもかかわらず、他人に対してあまりに偉そうである。手伝いをさせようとしても、怒るばかりで疲れるので、私も言わない。私は手伝いをして欲しいわけではなく、少なくとも祖母の疲労を気づいて、それを軽減させる努力をして欲しいだけだ。そういう思いやりというのをして欲しい。そもそも、自分は養われているという自覚があまりになさすぎる。
 
でも、こういう風に育てたのは両親でしかない。妹がまだ小さければ教育もしやすいが、成人前でなおかつ怒り散らす。聞く耳を持たぬ人間にいくら言っても無駄なことが分かっているから言わない。
 
高校生のときは、自然と成長していくだろうと思っていたが、これは本人が社会で叩き潰される経験までしないとダメかな? と思ったりする…。私としては、社会人として社会から嫌われて叩き潰される前に本人に自覚させたいのだが、言っても分かるのかどうか・・・また、これを改善するのには精神的な苦しみが伴う。自分の嫌な部分を見つめていき、自分の行動を正す必要があるからだ。
 
もちろん、人間は社会向けの顔をすることもできるので、妹も社会に適応していく可能性もある。ただ、それにしてもこれだけ注意しただけで何時間もふてくされていては手のつけようがない。あまりに自己コントロールができずに感情的過ぎると、誰も注意などできない。
 
私の心配のしすぎであろうか?
 
でも、私は自分の母親と継父がまともな教育ができないことを14歳で悟ったから、家を出る決意をしたのである。母親と継父には、自分の教育は一切任せないと、15歳になる前の12月に決意をし、家を出た。
 
だから、私は様々な人間に注意され、怒られ、怒鳴られ、この両親の教育もどきの痕を消すかのように社会に揉まれることを選んだのである。
 
それゆえに、妹がかわいそうである。思春期のときは本気で私が引き取って育てると言い、そのためになら大学受験もやめると言ったが、祖母がそれを阻止したのである。
 
妹は感受性も豊かであるし、とても優しく心配症で、私なんぞよりも母親のことを大切にしているし、家族の誰よりも私の苦労についても分かっているらしい。ただ、それでも、ちょっとこれでは大丈夫かな、と心配になる。優しいだけでは不十分で、自己を見つめて改善する力だったりとか、自己コントロール力とかが求められる。
 
祖母も私のときは、まだ教育ができたけれども、妹までは子育てはできないと言われた。それは愛情の差ではなく、体力がないからだ。それだけ教育は体力が必要だからだ。
 
私は16歳のときに、妹までは教育してくれと泣きながら頼んだことは頼んだのだけれども、さすがに祖母の体力の衰えと、頭の回転の衰えとを肌で感じているので、それをお願いすることができない。
 
でも、私も自分のことで精一杯で教育できないし、反発する人間と向き合うだけの労力がない。
 
私にできるのは、毎日毎日頭を撫でて「かわいいね」と言うだけである。妹はああいう幼少期を過ごしているので、ものすごく愛情不足であり、私よりも不足感が強いだろうと思う。
 
だから、心を満たしてあげることくらいしかできない・・・。
 
 
いや、そんなことを言うと、自分の人格もだいぶ心配になってきた。私も妹のように、自分では見えない自分というのがある。私はテキトーすぎる人間なので、妹が私に注意するのも分かるのである。気分屋で自由人なので、きっちりしている人間からするとイラつくだろうと思う。まぁ会社の文化に最低限合わせることは、これまでやってきたので(たぶん)大丈夫だとは思うけれども。
 
だから、人に言う資格があるのか不安になってきたwww
 
でも・・・どうしたらいいのだろうかね・・・。社会に出るとどうにかなるだろうとは思うけれども・・・。社会が育ててくれるかな?
 
マジメだし・・・。
とりあえず、私は今、自分の見方が間違っていないかという不安と、どう対処すべきかとか、考えている。
 
それで、ねむくなってきた。おやすみなさい。
明日の朝ごはんはピザやわ。

「この世で最も尊いのは、深い深い愛情である」

この番組を見て、コソコソっとだけれども、涙が溢れてきて、終わるとすぐにシャワー室に逃亡したw
 
祖母はコタツで寝ていたのに、この番組の内容に気づいてか、起き上がってきて、真剣に見ていた。私としては祖母に見て欲しくなかった。おそらく、私のことを連想したのだろうと思う。
 
このことを語るためには、私自身のことを語らねばならぬ。私は15歳のときに家族と一切の連絡を絶った。もちろん、そのときには友達の多大なる助けを得ながら、そして、私は働いた(私は将来に渡って、友達に恩返しをしなければならないと思っている。それくらいに助けてもらった)。
 
祖母は私にずっと手を差し伸べていたけれども、私は断固拒否をした。無視しつづけた。仕方がなく祖母と二人でごはんを食べたが、「私は絶対に家には帰らぬし、祖母の援助も一切いらない」とハッキリと断った。それは、価値観や感性の違いとか、そういう問題では全くないのである。私はその問題について、他者の勘違いを起こしたくないし、誰の責任も追求しないと決めている。だから、私はこれについて語るつもりはない。
 
まぁただ、当時の私であれば「ばっちゃん」の元へ駆け込み、その温かさに包まれたいと思ったであろう。私は、ばっちゃんの温もりを求めて、家に駆け込む気持ちも、そして、ばっちゃんの気持ちもよく分かる。
 
なぜ、彼らが少年院に行くことになったのか? 家に帰らないのか? 私はだいたい予測がつくし、おそらく、ほとんど当たっているだろうと思う。
 
彼らは「家に居場所がない」から、家に帰らないのである。「愛」を求めて、ばっちゃんの元へ駆け込む。これは、間違いのない事実である。
 
子どもの反抗は「助けて」「抱きしめて」という心の叫びである。だから、子どもが反抗したら、悪いことをしたら「抱擁しなさい」と、私だったら親に言うだろう。
 
でも、親だって一人の人間であり、不完全な存在である。子どもというワガママで自分勝手な存在を、無条件に抱擁することが難しいこともある。だから、「ばっちゃん」が、そのような子どもを代わりに抱擁する。
 
 
少年院から出てきた17歳の子が、とても素直そうな目をしていた。彼らの気持ちがよく分からない人間なら言うだろう。「どうして、このような素直そうな人が少年院に?」いや、素直で、純粋で、いろいろと感じてしまうからこそーなのではないかと私は思う。
 
「どうして、僕は、このような家庭に生まれてしまったの?」と、青年はばっちゃんにオフレコで聞いたようである。
 
「生まれた家庭環境は変えられないけれども、自分の人生は、自分の手で変えられるよ」とばっちゃんは青年に答えたようである。これは、疑いもない真実である。
 
この青年は、少年院を出てすぐにばっちゃんに電話をした。そして、自分の身なりを整え、時間と金をかけて、ばっちゃんに会いに行く。ばっちゃんの家に入ると、自分の靴をきちんと並べる。お土産をばっちゃんに渡す。ご飯は、お米一粒のこさずに食べる。
 
これは、礼儀なんぞという儀式的で表面的なものではないと、私は断言したい気持ちである。彼の行為のすべては、「ばっちゃん」への愛情、ばっちゃんがくれた愛情への深い感謝の気持ち、そして、自分を助けてくれるばっちゃんへの敬意の気持ちが、青年の行為に現れているのである。
 
「切っても切れない関係。」
自分が、また悪の道に行ってしまわないか懸念し、友達も持たない選択をすべきかどうか迷っている青年にとって、絶対に切りたくないのがばっちゃんとの関係であった。
 
 
今度は、別の少女がばっちゃんの元へやってきた。
 
少女は、家族へ暴力をふるったという。でも、暴力をふるう人間とは思えぬような純粋そうな目をしていた。
 
「これは、ばっちゃんの前だから(素直で純粋な目をしている)だね」と私が言うと、祖母が強く肯定した。
 
おそらく、家族から愛情をもらえなかったのだろう。だから、その反動として、親へのSOSとして、暴力をふるったのだろうと、私は推測した。
 
「親は自分を生むことだけして、あとは何もしなかった」と、少女が言い、私の予測がほとんど当たっている可能性を示唆した。(だからといって、これらの状況を私の少女時代に重ね合わせることはやめていただきたいと思う)
 
「でも、私は自分のことを不幸だとは思わないんだ」と真っ直ぐな目をした少女が言った。
「子どもができたら、ベビードールのお洋服を着せてあげたいな。結婚する相手がいたらだけどね(笑)」
「あんた、ずいぶんと普通の夢だねぇ」というようなことをばっちゃんが言う。
そう。彼女らにとっては、愛情をもらえたり、愛情を与えることが幸せ。
 
 
私の目には、みんな「吸い寄せられるように」ばっちゃんの元に集まっているように見えた。それは、ばっちゃんが「深い愛情」を彼らに惜しみなく与えており、彼ら一人一人と真剣に向き合っているからである。
 
「どうしてそこまでするの?」と何度も訊かれたようである。「質問者には分からんだろ」というのが、私の答えである。だって、彼らが心の中で泣いているのを分かっているから、その目を覗きこむのである。「なぜ、心から悲鳴をあげている人間を見捨てるのか?」と私は言い返したい。
 
では、私はばっちゃんのような人間を目指すのか? と問われると、それは分からない。本格的にする可能性は低いだろうと思う。ただ、この問題の解決に関して働きかける可能性は高い。
 
「世の中で、辛い思いをする人を一人でも減らしたい」というのが、私の人生における目標である。しかしながら、果たして、人の苦悩を減らすことが、人間にとって、そして社会全体にとっていいのか、という疑問があることについては言及しておかなければならない。
 
私は、この目標を達成するために、社会のシステム方面からアプローチするために、学問に従事することにした。だから、いちばん情勢がひどかった中東問題を自分の専門分野としようかと考えた。
 
しかしながら、人間には「才能」というものがある。つまり得手不得手というものがある。私は、この問題を解決する適した人材ではないという判断をした。国連職員になるにしても、もとより競争が激しい世界であるので、自分より有能な人物がやる方がよっぽど社会のためであると思った。
 
それに、社会貢献というのは、助ける人数を競うものでもない。自分ができることをやることが、いちばん効率がいいように思う。
 
なにも、社会システムを変えなくとも、目の前のことに取り組むだけで、社会貢献に成りうる。「子供に愛情を与えなさい。子供が反抗したら、抱擁しなさい」と、これが正しいかどうかは分からないけれども、私がそう言うことにより、親が自らの日々の行動を考え直し、子をその腕で抱擁しようと努力するのであれば、それは、私が政治家として、子供を保護する法律を作るよりも効果がある・・・ということだって考えうる。
 
だから、私は、自分の出来ることを精一杯やるしかないのである。
 
 
そして、自分の性質を眺めてみると、とても1つの問題に取り組むような人間ではないことが分かる。まぁ、とにかく、どんな問題でも私は考えてしまう。
 
手を出す範囲が、広すぎる。
ばっちゃんのように、子供の心を抱擁するような人物が必要であることも分かってはいるが、私は、この問題だけではなく、教育問題、紛争問題、貧困問題、経済問題、環境問題、少子高齢化問題、医療問題・・・・・・もう、なんでもかんでも考えるし、私はそれに携わっている人々に接触したがる。ここまで手を広げて関心を持っていれば、とてもじゃないけれども、行動して成果を出すまでの時間を確保するのは困難である。空いた時間にNPOなどを立ち上げてしまえば、逆にきちんと成果を出せるだけの努力ができるだけの時間と労力を確保できず、「害」にしかならぬことを、私はやはりよく分かっている。
 
つまり、中途半端に、「ばっちゃん」のマネをすれば、余計に子供たちを傷つける。
 
だから、私は、現在のところ、ボランティアの参加だったり、文章を通じて、社会に潜む問題について指摘し、改善の可能性を示唆するという行動を選択するのである。

「経験の利点と欠点」

「経験の利点と欠点」
 
妹が、アルバイトの経験をもとに、社会の裏側について洞察を示していた。大人になったなぁと思うと同時に、経験というのは人の視点を変えていくのだな、ということを再認識した。
 
経験豊富の基準というのも人それぞれであるが、私は経験が豊富だねと言われる。それは年寄りだからということもあるが、私の環境が非常に特殊であったこと、そして、やはりいろいろな環境に身を置く機会が非常に多かったからだろうと思う。
 
ただ、私はそれだけに、「経験のみで語ることの怖さ」を知っている。つまり、自分が経験から導き出した1つの答えというのは、非常に大切なもののように見えてくる。しかしながら、実際には「自分の知らない視点」というのが存在している。つまり、自分の経験から答えを導き出すことは、自分の経験に固執する可能性を高める危険性がある。自分の考えに執着すると、今度は自分の知らない視点を見落とすことになりかねない。
 
私は、この危険性を非常に危惧しながら生きている人間である(もちろん、それを注意しながら生きていても視点の欠落というのは大いに有り得る)。
 
では、どうすれば、自分の経験に執着せず、他の視点の取りこぼしを防ぐのか? それは、多種多様の人間に意見を聞くことである。それは専門性があるものであれば、幅広く専門家に聞くことが必要であるが、素人のの意見というのも、非常に斬新な視点をくれることがある。とにかく、どの人間であっても話を聞くことは自分の視点の狭さから逃れる1つの方法である。
 
他の手法は、やはり書物を読むことである。書物というのは、人生の先輩の中でも知恵のある人物が文章を書いていることが多い。それが特に古典であればなおさらである。だから、彼らの視点というのは非常に深くてためになる視点を我々に与えてくれる。
 
だから、多くの他者から意見を聞き、書物を読むのである。
 
 
人間というのは、自分と似たような価値観を持った人と付き合う傾向にある。そして、その価値観を形成するのは主に家庭においてである。
 
家庭というのは、ある種の世界観で成り立っており、その家庭内の世界観「以外」の世界観および価値観というのは腐るほどに世の中に存在している。
 
つまり、1つの家庭内の真実や常識は、他の人にとっての真実や常識ではないことは、よくよく起こりうる。
 
世界観の相違というのは、会社だ大学が違うだけでも起こりうる。1つの共同体が共通して持つ世界観・価値観というものがあり、それは他の共同体からすると理解するのが難しいという現象が起こることもある。
 
たとえば、高級住宅街とスラム街では、その醸し出す雰囲気というのは非常に異なっており、人生観から考え方まで相違してくる。
 
だから、他者と付き合うにあたって、自分の知らない世界観や価値観を相手が持っている可能性を想定しながら付き合うのは非常に大事なことであると思う。
 
そして、自分がより広く深い視野を持つためには、あらゆる種類の人と接触し続けることが非常に役に立つと思う。その際に心がけるのは、決して「軽蔑心」を持ってはいけないということである。それは、相手に伝わる。
 
どの人間であっても、必ず美しい一面というものを持っているはずである(あくまで仮定であるが、それをくつがえせる人間に、私はまだ出会ったことがない)。相手の美しい一面を引き出せないのであれば、自分の相手に対する「敬意」が足りないからであろうかと思う。相手に敬意を持って接すれば、相手から何かしら学ぶ点を得られるだろうかと思う。(これも仮定でしかないが)
 
このような私の主張も、自らの経験に即したものなので、自分の経験に固執した意見かもしれないね(笑)でも、意見というのは、偏っていたとしても、主張しなければならないことがある。

柔らかな空気。

広島は一度だけ降りたことがある。
無口な上司とふたりで・・・・・(爆笑)
 
二人っきりで車で8時間?くらい? 往復で? 造船会社に行ったんだったかなぁ?
仕事は15分くらいで終わったんだけれども、お客さんが私を見て、なんで私がいるのか、というような不思議そうな表情を一瞬見せた。何故かというと、たぶん輸出入の手続きがクソめんどくさいから、上司が話を聞いて私に伝えるよりも、私が直接聞いてやってくれ〜ということだったのだと思う。
 
本当に無口な人で、二人っきりで8時間も一緒にいるとなると、一体どうなることやら? と思った(まぁ私は沈黙を通じて語る女でもあるけれども)。でも、沈黙の中に意味はないことも多く、ただボーッとしていたら、別の人に「君の沈黙は自然だ!」とえらく感動されたことがある。その人いわく、沈黙には気まずい沈黙とそうでないものがあるけれども、私の沈黙は自然であり、居心地がいいらしい。いや、別にただ黙っているだけなんですけどと思ったけれども、わざわざ他人が感動してくれているのをブチ壊す必要もないので「そっか」と答えた。
 
まぁそれで、話を戻すと、上司は無口だから、きっと人が苦手なんだろうなと思って、私を警戒しすぎたらどうしようって思っていた。朝早かったので、上司の家の近くまでそのまま行った。
 
寒い朝だったので、ホットコーヒーを2つ買っていって、上司の好みのとおりに砂糖2つとミルク1つを入れて、車のカップ置きに置くと、「そこまでしなくてもいいのに」と笑って言ったけれど、ちょっと頬が赤く、嬉しそうだった。狙ったわけではなくて(笑)、単に自分だけコーヒーを飲むのも嫌だし、上司は毎朝出社したらコーヒーを飲む習慣があるから、会社での習慣を車内に適用させた。でも、その柔らかな笑みというのは会社では見られなかったので、少し驚いた。後で気づいたのだけれども、他の人にはあまり心をひらいていないのではないかと思った。それは、この文章を最後まで読めば分かると思う。
 
それで、上司が私と二人っきりのときに、どう反応するかが少し心配だったけれども、無口どころか、ずーーーーーーーっと喋り続けていた。私ではなく、上司が。本当にいろいろな話をしてくれた。娘の話、娘の好きな果物の話、動物の話、六甲山を登るときにはその山の話をしてくれた。少なくとも7時間は話していたから全部は覚えていないけれども、私は楽しかった。
 
「ここはね、水浸しになって通れなくなったことがあってね」と言って、そのときに起こった悲惨な状況を私に説明してくれる。人が通るくらいの道もなかったこと、車が渋滞して混乱していたこと。上司は無口過ぎて、言葉が足りずに人にものを伝えるのが苦手だと噂されていたけれども、そのときに彼が説明してくれた情景は、私の脳裏にまざまざと浮かんできて、少なくともそのときは、彼はしっかりと情景を言葉で描写していた。
 
彼は造船所を案内してくれた。企業は情報保護にうるさいからあまり書かないけれども、耳鳴りがするくらいにうるさい現場で、うるさいから、耳を壊さないようにどういった対処をするのだとか、うちが売っている製品はここでどういう風に使われているのだとか、お客さんがよく買っていたバカでかい鉄の塊は、あそこにあるんだと、上司が指をさした先を見ると、そこには海の上だった。あまりに大きいから海の上にあるんだよね。
 
帰りは、地元のものが売っているところに連れて行ってくれた。見たことのないものばかりがあるもんだから、嬉しくってアチコチ見まわるわたし。時間を使いすぎかな? と思うくらいで、上司に時間は大丈夫かと確認しにいったら「好きなだけ見ておいで」と笑って言って、ずっと待っていてくれた。
 
私は瀬戸内海付近のオリーブが使われたお塩とか、他にも買ったと思う。
 
「果物屋に寄ろう」と上司が言った。そこで大きなみかんを買っていた。「娘が好きなんだよ」この皮をお風呂に浮かべるんだ、と、娘の顔を幸せそうに思い浮かべているような表情をしていた。パパになるときは、会社では決して見せない優しい表情を見せるのだなぁと思った。
 
行きから帰りまでずーっと喋りっぱなしだった上司だったので、これで打ち解けたなぁと思い、事務所に戻ったあと、上司に笑顔で話しかけたら、そっけない態度をされた。そのときに、ああ、この人は会社の他の人には心をひらいていないというか、自分の心の内を見せたくはないんだなぁ、喋りたくないんだなぁと、そのとき気づいたから、私も周りに人がいるときはあまり彼に話させないようにした。
 
AIUに入学することが突然決まったときも「君、突然困るよ」と言いながらも、私がその二週間後に関西を経てるようにしっかりと準備をしてくださった。
 
入寮日の前日、送別会をしてくれた。そのとき上司が「卒業したらまた戻ってきたらいいよ」とみんなの前で言った。社長が「戻ってくるくらいならそもそも入学なんかせんだろ」とツッコンでいたが(笑)それでも表情を変えずにそう言った。そのようなことを言う性格ではなかったので、私も驚いたんだけれども、他の人が「あれは、冗談っぽく言っているけど、本気だからね」と言っていた。
 
2月には関西に行きたいなぁ。串かつやタコ焼き食べに行きたいなぁと思った。

心を育てる。

心を育てる。
 
戦争は、戦争を経験した世代がいなくなった後に起こる。
という話を読んだことを思い出した。
 
つまり、戦争を経験した世代というのは、その悲惨さを知っているために、戦争が起こらぬように努力する。しかし、その世代がいなくなり、戦争の悲惨さを体験として知らぬがゆえに、ふたたび戦争をしてしまうのである。
 
私はこの世から戦争をなくすことはほとんど不可能のように思う。それは、努力を怠るという意味ではない。それを避けることが不可能だということを知りながら、戦争が起こる原因を見つめてゆき、それをなくすように努力をする。そうすることで被害を抑えることは可能であると思っている。
 
戦争というのは、我々が思っているよりもはるかに残酷なものであろう。個々人が生きるか死ぬかの状態なので、自分を守るために他者を見捨てなければならないということも起こってくる。そのときに人間は、他者に対してだけではなく、自分自身の残酷さをも見るのである。
 
 
戦争抑止のメカニズムを解き明かそうという学問があるが、私はそれとは別の観点から物事を眺めたい。
 
それは、人間の「共感力」「他者の心を感ずる力」である。それは、どうやって育てるのか? 子供に不幸な経験をさせるのか? 私の中で確かな答えは出ていない。論文も春学期に探したが、私は見つけることができなかった。
 
1つの可能性としてあるのが、「国語力」を上げることである。本を読むことである。そして、様々な気持ちや状況に触れ、自分の住んでいる世界の外側を眺める。
 
私は、大阪で国語塾に通っていた。そこで、たくさんの文章を読み、読解し、記述した。今も改善に改善を重ねて、私の頃とは変わっているようであるが、先生が「人の心を問う問題」を入れるようにしたとおっしゃっていた。それは、生徒の心を育てるためである。
 
この国語塾に関するレビューが高いのは驚くことではない。親御さんの感想であったのが「子どもが精神的に成長した」ということである。私は、ここに国語や教育の可能性を見出した。この心を育ててゆくことにより、高い精神力を持った人間が社会の一員となることによって社会が変わってゆく。その結果、戦争の抑止力にも成りうる可能性をも持っているのである。
 
 
人間の心を育てるもう一つの可能性は、経験を積むことである。何も自ら悲劇的な状況に飛び込む必要はない。公園に行って隣人と触れるだけでも十分心が成長する可能性はある。
 
ボランティアの意義というのは、経験を積めることである。エントリーシート奨学金を申し込むためのものではなく、自らの知らぬ世界を知るためである。そして、社会の抱えている問題を自分の目で見て、それらと向き合っている人間と触れることによって、学びを得ることに、ボランティアの意義があるのだ。
 
 

オードリー・ヘップバーンと感受性。

オードリー・ヘップバーンの伝記を買った。
 
あそこまで成功しながらも、晩年もクスリなどに溺れず、慈善活動をし、ヒドイ死に方をしていないので、この人はそこそこ苦労した人間か、あるいはこのような人生を送れるだけの人間性を持ち合わせていたのだろうと思ったら、やはりそうであった。
 
物事を深く洞察し、彼女の心は傷つきやすくもキラキラと輝いていた。
 
ユネスコの大使として活躍するのは、著名人である自分の使命だと彼女は思ったようである。これは本心からそう思い、慈善活動を行ったのだろうかと思う。
 
 
私は、この伝記物の著者が傷を負い、何かが欠けている人が好きだと書いてあるのを見て、人間とは変な生きものであるなぁと思った。
 
私は、人の目を見ただけで(ときにはしばらくの観察期間を要するが)その人間が物事を深く見る人間か否かというのを洞察する。感受性があるか否か、また、哀しみをまとっているかどうかも感受する。もちろん、これを白黒明確に区別するつもりはないし、それらがどの程度深いかどうかは、ある程度の時間を要することもあるが。また、ほんの一瞬だけで、その人間の本質的な部分を見ることもある。それは優しさだったりである。だから、私が他者を「優しい人間だ」と言うときには、ただの形容詞以上の深い意味を持つことが多い。
 
私は思うのだが、やはり経験や感受性が人間のひとみや人間性に深みをつけるような気がする。要素は経験と感受性の2つだということをここにハッキリと書いておきたい。
 
経験をすれば人格が磨かれるかというと、私はそうではないとハッキリと言える。そうであれば年寄りはみんな人格者であるが、そうではないだろう。
 
しかし、経験があることにより、それを人間的な深みに結びつけることができる。苦労している人間というのは、私も瞬時に察知する。あまり苦労していない人間というのは、いくら優秀であってもその目に深みが出てこないのは事実であろうかと思う。ただ、苦労なく愛情を全身に受けた人間の持つ大らかさや純粋さというのがあり、それは彼らの最大の魅力である。若者たちといると、どこかで解り合えないような深い溝を見ることがある。それは当たり前で、彼らに私の哀しみは想像しても想像しきれない部分がある。それを分かってもらいたいとは思わないし、それは彼らが人生経験を積み、傷ついたり考えたりしなければ了解できないことである。でも、彼らは今しか持ち得ない純粋さというか、パワーというのがある。暗い闇を持たない明るさというのがあり、私はそれに癒やされることがある。
 
ただ、傷つくのは、傷つくだけの感受性があるということである。だから、見た目ではさほど悲劇的な人生を送っていない人間であっても、傷つく能力があるがゆえに、他者以上に深い哀しみをまとうことがある。
 
オードリー・ヘップバーンは、傷つく能力が非常に高い人間であることが書籍から分かる。だから、ナチスに対峙するのであるし、アンネ・フランクの日記を愛読しながら、自分には彼女を演じることができないと思って、アンネを演じることを断るのである。
 
私も感受性が強いとはよく言われることである。これは何も話さなくてもそう思う人はそう思うようである。言語が通じない状態でも相手がそう言ってきたこともある。こちらが相手の目を見て何かを感じるように、相手もこちらの目を一瞬だけ見て何かを洞察しているのだなぁと思うことが稀に起こる。
 
ただ、感受性というのは非常に厄介なものであると思う。
 
感受性というのがあるがゆえに人よりも傷つくし、罪悪感にさいなまれたり、相手の人間性をある程度了解しておきながらも、近づくことを恐れたりするのである。ただ、世の中にはこの感受性をまったく解さない人間というのがいる。そのような人間に対しては、自らの感受性を明らかにしない方がいいような気がする。絶対に相互理解が不可能であるから、私は最初から冷たい心で接する。
 
また、普通に社会人として生活する場合も、感受性の感度を下げておいた方がいい。そうした方が、うまく仕事が進むからである。
 
さらには、ものを伝える際にも感受性というのは要注意が必要である。あまりに感受性を爆発させてしまうと相手はこちらのことが理解不能で自分が傷つくし、それ以前の問題として、自分の感受性が相手に了解されると思って接する方が間違いである。そうすると、物事が伝わらなくなる。なぜなら、相手にそれだけの感受性がないことが多いからである。相手の感受性に期待してものを語ると、何も伝わらない。
 
つまり、ものを伝える際には、冷酷で冷淡な方がいいと思う。少なくとも、私はそのような態度を取りたいと思っている。
 
 
というか、今朝、悪夢を見たことを言い訳に勉強をしていない。徹夜やわ〜