「なぜ男と女が惹かれあうのか考えたことある?」
「なぜ男と女が惹かれあうのか考えたことある?」
「たぶん、空気で惹かれあうんだとおもう。性格とか容姿の前に、まず空気があるの。その人が周りに放っている空気。そういう動物的なものをわたしは信じてる」
このように惹かれ合う者同士の繋がりを「本能的」だと筆者は呼ぶ。
日本人の離婚率は欧州よりも低いと筆者は言う。そして、それは欧州人がより「本能的」だからではないかと言う。(まぁこれは離婚の原因を統計的に見ていないので鵜呑みにはできない。筆者の感触だろうかと思うが、そういう感触が事実を現すこともあるので、参考にはできるだろう)
以下、記事の続きである。
「時は過ぎ、そのまま破局するかと思いきや、最後の場面で、何不自由ない暮らしと優しい夫を捨て、パリまで若者を追いかけていく女。
現実の世界で、この究極の選択をする人はいるのだろうか──。肌感覚の話だが、日本人なら0.1%、いやもっと少ないかもしれない。
一方、ヨーロッパ人、とくにラテン系欧州人なら、10%程度の人がこの選択肢を取るのではないだろうか。」
私も日本人はこの選択を躊躇うのではなかろうかと思う。それは、離婚が非常にめんどくさいということ、子どものために自分がガマンすればいいという考えもあるけれども、「世間体」もかなりあるだろう。
日本人は理性で本能をコントロールするのが上手いと筆者は締めくくるけれども、果たしてそうだと言い切っていいのだろうか?
秩序が崩れる怖さが勝るのではないだろうか?
清水富美加さんに光が差しますように。
人は救いを求めるために宗教を信じると聞いたことがあるので、この女優は何かしらを抱えているのではないか? と思い、ブログを訪れたら、何か抱えているような気配を感じました。
しかし、これから映画が3本公開され(未完成のものもある)、CMも2本も持っているので、賠償金が膨大でしょうね。当然、公開される映画の売上に影響しますし、スポンサーの企業イメージにも悪影響を及ぼしかねません。関連企業は事務所に莫大な賠償金を請求してくるでしょう。
契約を交わした以上、契約者本人が負わなければならない責任もあります。私も組織とは様々な契約書を交わしてきました。当然ながら先方が自分たちの利益を守るための契約書を作成しているかのように見えることも出てきますが、相手に約束を破られて今回のように莫大な損害(賠償金)が起こることも想定されて契約作っているところもあると思います。つまり、将来起こりうるリスクも想定されて作られていると思います。判を捺した以上、契約者に責任が生じるのは当然だと社会ではみなされます。だから、契約書に判を捺す前に疑問点は明確にし、納得がいかなければ交渉しなければなりません。
TV番組によると、「性的対象とされるのがイヤだ(つまり水着を着た写真を出して、男性に性的対象として見られるのが嫌)」「事務所は自分を商品として扱う」と本人が言っているとのことでした。
私はオンナを売り出したり、人間を商品として売り出す世界を調査してきました。だから、そういう感覚のある世界が決してキレイ事では語れないことを知りました。
彼女はどれだけ人間として扱われていなかったのかは分かりませんが、タレントや俳優は自分を売っているところがあります。それはれっきとした事実だと思います。売り出す過程でオンナを売りにするのも事務所の売り出し方として定番かと思います。だから、諦めなさい、と言っているわけではないです。それが現実であるのは確かだということです。
本人は、抗議したけれども聞き入れてもらえなかったということです。本人が悩んでいるときに誰も耳を傾けてくれず、孤独を感じ、事務所と分かり合えなかった可能性もあります。よほど苦しければ判断力も鈍ります。それらを彼女一人で対処しろというのには無理があります。
でも、今後の人生の教訓として言えることは指摘しておきたい。契約違反(契約中の突然の引退)をすると、自分が圧倒的に不利になります。相手に反論材料を与えるだけで、相手は耳を傾けてはくれません。事務所はお金を持っているし、有能な弁護士をつけて、今後の事業に影響が出ないように徹底的に対策を打ってくるでしょう。
【追記】
この件について、知り合いから別の観点からコメントをいただきました。「命の危険がある」という情報についてです。賠償金、大人の責任よりも命が大事であると。そして、私はこの考えに賛成です。本人の責任能力がにぶってしまうのが、人が追いつめられたときです。そういうときに彼女に誰かが手を差し伸べる必要があります。私はこの点についても考える必要があるという考えも持ちました。
家庭内における違和感。
他の学生を見ていると、実家に帰ることを喜ぶ人がいる。喜ばなくても帰る。これはつまり、家族との間に強い違和感がないということだろうかと思う。
もし強い違和感があれば、私のように長期間、家に帰らないだろうかと思う。そもそも、「帰る」という表現自体に違和感がある。
だって、ここは私の居場所ではないのだから。
「教育」というのは、ある意味で洗脳である。何が正しいか、正しくないのかを、多くの子どもは保護者の言動で判断をするからだ。
親の価値観を踏襲することは、ある意味において親の生き方をすることではなかろうかと思うことがある。少なくとも、私は10代のときにそう思った。家族ではあるので、私は家族を否定したくはない。だから、私は家族の価値観を一時期取り入れることにした。一部において取り入れた。
そして、家族は私に様々な要求をした。つまり、人格的な要求である。家族の中の権力者が気に入るように振る舞おうと私はした。
そこで、私は下記のような仮定を出した。
「教育というのは洗脳的側面があり、一人の人間を型に当てはめたり、個々人の価値観や感性の多様性を否定する可能性がある。」と。
◇
「子どもと大人の境界」についての記述を読んだ。家計を親に依存しているうちは、「行動を制限され、子供扱いされることもある。」とある。
行動を制限されるということは、親の価値観に染まる可能性を示唆する。もちろん、それを拒否することもできるし、対立して議論することも可能であるという反論をされそうだが、この議論を親が受け入れるか否かの決定権も、だいたいにおいては親が持っているような気がする。
それに、家庭の中にはそれぞれ習慣というものがある。
ある人は「茶碗をもっと丁寧にゆすげ」と言えば、違う人は「水を使いすぎるな」と要求をする。
この程度の習慣の違いであればいいが、このような「暗黙の決まりごと」というのが各家庭にある。そして、多くの人間は、自分の家庭のことしか当然知らないために、この違いがあるということに気づくきっかけというものを持たない。
つまり、茶碗をよくゆすぐように躾けられた人間は、それが当然のことと思い込み、それをしない人間を見たら違和感を感じるのである。
私は、15歳で家を失ったこともあり、多くの家庭および個人にお世話になった。そして、経験した職業も多種多様で、多くの会社を見てきている。そのために、文化や習慣というのが国・地域単位ではなく、もっと小さな単位(家庭や個人)により異なるということを、身をもって知っている。
ついでだから言っておくと、この解決策というのは自分の心がけや行動次第である。つまり、相手に合わせる柔軟性を持つのが一番いい。相手のことをよく観察し、相手が要求していることを洞察し、相手に合わせて自分の行動を変えていくという手法を取るということである。
◇
自分が何を言いたいのか分からなくなった。要約すると、一番目は、家族との間の違和感で、それは世界観の違いであった。二番目は、保護者に行動を制限される以上、基本的には親の持つ世界観を引き継ぐことになるということだ。
もちろん、私は家族の持つ価値観を否定はしないし、このような世界観があることも許容している。ある程度は取り入れているし、学ぶことも非常に多い。しかしながら、それらすべてを自分の血肉として取り入れるかということは別の話である。何故かと言うと、私は彼らとはまったく違う価値観や世界観を取り入れて築くという決断をしたからである。
すでに15歳のころから準備を重ねていたけれども、師が登場したことにより、20歳でいよいよ本格的に家族とは距離を置くことを決意した。この時点ですでに今後私たちの間に不理解の壁が築かれるであろうことは予測していた。家族は私のことがますます分からなくなったようである。もちろん、理解しようとは努力してくれた。でも、分からないものは分からないのである。私のことがよく分からないことを分かりながら、私に接そうとした。でも、根本的に分からないので、ギクシャクすることがある。このギクシャクをなくすために、どちらかが我慢をしたり、自分を取り繕ったりという作業が必要なのである。これは私だけではなく、家族の中の権力者がそうであろうかと思う。
人生には忍耐、我慢、自分を社会に適応させる努力というのが必要である。そうやって社会の一員としてやっていく。
それは、家庭内でも同じである。だから、私が家族と離れることを努力の放棄と呼ぶ人もいるかもしれない。しかしながら、先に述べたように、家族の世界観に適合することは、家族のような生き方をするということであり、人生を通じてこれを受け入れる覚悟をせよということである。私がどのような決断を下したかは、もうお分かりであろう。
しかし、強く主張しなくてはならないのは、相手の価値観を否定してはならないということである。まったく違う世界だから付き合わないということは、私は徹底的に避けたい。違うからこそ学ぶことが、絶対にある。相手のことを理解しようと努力し、そして、分からなくても分からないなりに相手を尊重しながら関係を築いていきたい。
島んちゅと都会人。
私が島んちゅだと聞くと、みんなどう感じるんだろうか?
珍しがられることが多くて、変な偏見を持たれることは少ない気がする。
島んちゅの私は、都会は階級意識が強いということに驚いた。
都会には高級住宅街があれば、一人で立ち寄るなと忠告されるスラム街がある。
下記のマンガがどこまで真実かは謎だが、京都は閉鎖的というのは有名な話で、京都人自らが「ぶぶ漬け(お茶漬け)」の話をする。
京都では「ぶぶ漬け」を家で出されたら「帰れ」という意味合いを持つらしい。
(前にも書いたが、)
私は京都の高級昆布屋で「お前さんはどちらからきたの?」と問われ、大阪だと答えると、「京都と大阪では使っている昆布が違う。大阪の昆布は味の主張が強すぎるが、京都の昆布は素材の味を引き出す昆布なんや」と言われたことがある。
遠回しに「お前さんに売る昆布はない」と言われているようにも受け取れたが、それくらいで引き下がるほどハートが脆くない私は、店主から昆布の情報と、とろろ昆布の製造方法まで聞き出して、購入して帰った。(^o^)えへ♪
◇
一流の芸術作品に触れたり、質の高い書物へのアクセスが非常に悪い島に不満があったが、今では島に生まれて良かったと思っている。
島にいた頃は、海でカラフルなお魚と泳いでいた記憶がうっすらとある。
良し悪しももちろんあるのだけれど、やはりキラキラと輝く海に囲まれて(おそらく)まっすぐ育った(←たぶん)ことは、よかったなぁと。
エリート意識というものが都会と比べるとないし、階級の差をそこまで感じないから、社会階級に関しての執着が(たぶん)そこまでない。他者を蔑むことも比較的少ないような気がする。
君も、君もイイよね!となる。
もちろん、実績がある人はエリート意識があってもいいし、堕落した生活をする人を非難しなきゃいけないときもあるけれどもね(それがスラム住人とは関係ないです)。
まあ!しかし!
奄美大島が世界遺産に登録されると、アタシの出身地は!
「世界遺産やっ!」ってなる(ドヤ顔?)w
でも、観光客誘致がヘタクソで、沖縄のように注目を浴びず、自然体でのんびり屋さんの島のままでいてほしいな。
しあわせの共有。
しあわせの共有。
「こんなに買うんですか」と店主が驚きのなかに喜びを包んだような表情を見せた。
「はい。」と、私はなんの躊躇いもなく答えた。
「ちょ、チョット待って」店主が少々動揺した様子を見せる。
「今日、はじめての売上げだから、電卓を探さなきゃ」
夕方の4時くらいであった。
やはり、地方で古書の需要は少ないのかなぁと私は思った。
私は大阪の下町に住んでおり、伝統ある古本屋が近くにたくさんあった。私はずっと同じコーナーを見ていたのだけれども、内容がコロコロと変わっていたし、あくまで私の見解だけれども、客もそこそこいただろうと思う。
テレビで東京の古書店が集まる区域が映っていたが、やはり交通アクセスのいい大都市というのは多様な人が集まり、希少価値の高いものに関心がある人が一定数いるがために、お金が集まりやすく、店舗も安定的に経営ができる。
説明が難しいのだが、少々専門的だったり、利用者が少ないものは地方には集まりづらい。地方の人口がそもそも少ないこともあるが、利用者が少ないものをどうやって楽しむか分からない人もいて、需要が伸び悩むというのもあるかもしれない。
でも、それでもこうやって店と店との合間を縫うように書物が並べられた空間が地方にあることは、本当に嬉しい。
「この本をご存知だったのですか?」
店主が指で示したのは「傑作と凡作の論理」(弘文堂・アテネ文庫)だ。
「いえ、本を眺めていたら、たまたま見つけたんです」
「よく見つけましたね。このアテネ文庫というのは、まだ紙が普及する前から本を出版していてね。この本は紙が普及した後に出版されたのだけど。こういうものが引き継がれていくと嬉しいねぇ」
「弘文堂というのは、歴史関連の出版物を出していませんでしたっけ?」
「今はそうだね。でも、昔は哲学書とか出していたんだよ」
知らなかった。会話のなかでヒョッコリと出てくる、チョット驚きエピソードが、私は大好きだ。
人間は雨風がいつ来るか予測はできても、コントロールはできない。
それが自然だ。
会話も、そんな自然に似ているなぁと思うことがある。人間が自ら会話を築き上げているような心持ちになるけれども、ふと溢れる表情や言葉がある。話そうとは思っていなかった人と話すことになったりもする。
だから、人生って楽しい。
「大事にしてね」と店主に言われたので、笑顔で「はい!」と答えた。
店主の笑顔は、とても柔らかく、「しあわせそう」という言葉がよく似合った。そして、私もすっごくしあわせだった!
オモチャ箱の中であそぶ。
痛みの原因。
痛みの原因。
耳が痛かったのを、何年も放置していて、プールに行ったら悪化したので、ようやく耳鼻科に行くことを決意した。
「K先生のところに行けばいいよ」と祖母に言われた。
「コワイからヤダ」
この先生は15年くらい前にお世話になったが、そら恐ろしい記憶しか残っていない。とにかくコワイという印象である。
「素晴らしい先生だし、正論を言って怒られるならいいじゃないの」と言われて、しぶしぶ K先生のところへ行った。
人気な病院なので、1時間半は待った。
私の診察の前に、先生は私のカルテを真剣な眼差しで見ていた。私のカルテは違う名字であった。15年ぶりなのに、よく旧姓まで分かったな…と関心したものだ。
「なんでプールなんかに行ったの?」と先生に言われた。先生は笑顔だった。
先生が笑顔であることに少し驚き、私は黙り込んだ。
「寒いのにプール?」
「体力づくりでプールに行ったんです」と答えると、「そうか」と笑みを崩さずに答えた。
診断に直結しない会話をも笑顔でする先生に、私は心の余裕を感じて、穏やかな気持ちになり、笑みが溢れてきた。
毎日毎日たくさんの患者さんを診察し、とても忙しいはずなのに、どうしてこんなに心の余裕があるのだろう。そんな先生をとても敬う気持ちになった。もちろん、対話をしっかりとする先生は他にもいるけれども、本気で治療する気がないというか、診察が機械的だなと感じる先生もいる。
私の耳を見て「ああ・・・」と声を漏らした。すぐに私の耳の痛みの原因が分かったらしい。
席を移動し、カメラで私の耳のなかを映し出す。
私は現実を見るのがコワイので、ギュッと目をつむる。
「ほら、目を開けて見てご覧。自分の耳だからね」
「これは異常のない状態だよ」と、異常のない方の耳をまず見せる。
それから、痛みのある耳を映し出す。
「ほら、耳垢だよ。これが鼓膜を覆っていて、それが痛みの原因だよ」
先生は比較するために、まずは正常な方の耳を見せたようである。素晴らしい先生だ。
「耳もあまり聞こえないんです」と私は言った。
「うん、これが原因だね」と先生は言う。
東京の耳鼻科で耳が聞こえづらいと言ったら、「また今度」と、不機嫌な感じで言われたことを思い出した。
『K先生は私と向き合ってくださっている!』
私は感動した。
わざわざ席を移動して、テクノロジーを使って耳の中を見せるという作業をしない先生もいるし、説明さえもせずにひと言で済ませる人もいる。
「じゃあ、(耳垢を)取るからね」と先生は言った。
私は怖くなり、身体が固くなる。
「痛い・・・!でも、痛くないっ!!」と、訳の分からない言葉を私は叫んだ。
看護師さんが笑う。
「痛いの? 痛かったら違うやり方があるから」と先生がおっしゃった。
「痛くない、痛くないです!」と私は目をつむって言った。
先生は笑っていた。
「痛い!」は、私の病院での口ぐせである。痛くもないのに、痛い気持ちになる。これでよく先生が不機嫌になったり怒ったりするのだが、K先生は怒らなかった。私の様子を冷静に把握し、私の立場になって考えてくださっているということを肌で感じた。
懐の深い、すごい先生だなぁと思った。医師というのはずっと頭を使い、学会もあり、常に勉強しなければならない。それでいながら、平日の多くの時間を割いて様々な患者さんに対応しなければならない。心底尊敬する社会貢献だなぁと強く感じた。言うまでもないが、私にはとてもじゃないけれどもできない仕事だなぁ。
「ほら、取れたよ」と先生が取れたものを見せてくださった。石ころのようなものであった。
「すごい!こんなカタチをしているんだぁ!」とはじめて見るものに感動していると、看護師さんがくすくすと笑っていた。
そんな私を見て、「持って帰る?」と先生が聞いてきてくれた。「はい!」と笑顔で言うと、看護師さんがキレイに包んでくださった。
「自分の分身だからね」とおっしゃる先生の感性が、私はステキだなと思った。
ああいう言葉は、私の気持ちを感じ取ろうとしていないければ出てこないのではないと私は思った。
「ほら、もう痛くないでしょ。耳もよく聞こえるようになったと思うよ」と先生はおっしゃった。
私は笑顔でお礼を言って診察室を出た。
どのような仕事に就いても、この先生のようなステキな仕事ができるようになりたい!そう思いながら、自転車を漕いで帰っていった。