「相手の仕事について、こちらから話すな」

「相手の仕事について、こちらから話すな」
「政治とスポーツの話はするな」

とか、いろいろと教わった。日常会話での禁止事項ではなく、男性と話すときの心得。

仕事の話をしないのは、仕事というのは結構たいへんでしょ。だから、そんな大変な思いから解放させてあげるためだと思う。もちろん、仕事の話をしたい人とは話すよ。

そういうこともあって、私は相手のプライベートについて聞くときは非常に話題を選ぶ。相手が話してくれそうな話題を会話の中から推測して、それについて探り探り話してみる。

人によっては職業を隠したい人、仕事の話をしたくない人、世俗的な話題を避けたい人、ただただ戯れたい人などがいるから、それを見極める。

相手が許容する話題が推測できない場合は、相手のことについては一切何も聞かない。

相手が喜んで話したくなるような話題は何か、というのを相手のバックグラウンドや会話から推測して話してみて、相手の反応を見ながら話題を探ってゆく。

相手の反応が悪ければすぐに話題を変え、相手が食いついてきたら、それをグッと深めてゆく。

会話にしても、人間関係の構築にしても、私はまだまだ修練の最中だけれども、ここまで来るのには15年くらいの歳月がかかった。うまく話せなかったり、相手がシラケてしまうことも多々あった。

もちろん、相性はあるけれども、相性の合う人が少ないのは自分が未熟だからではないかと最近思うようになった。つまり、相手と空間を作っていくような雰囲気、会話の内容(知識とか視点とか考え)というのを自分が持っていないということ。

学歴などのバックグラウンドの違いを言い訳にして話題がないという人もいるけれども、相手の持っている素敵なものを見つけて、そこを引き出していけば、相手と独特な空間を持つことができるような気がする。実際に、マレーシアの人々と私はまったくバックグラウンドが違うけれども、一緒に時間を過ごして楽しむことができる。

この記事を熟読する時間はないけれども、これはあくまで北新地(大阪の銀座みたいな位置づけのところ)の遊び方の話なので、このような世界に過度にあこがれて変なお金の使い方をするのはあまり勧めない。

多くの人は節約して日常生活を送っており、このようなお金の使い方をしたり、高級品を身に纏うのは、銀座や北新地だからというだけの話。

この常識はそういう場所ならではというところもあるような気がする。

北新地の研究はチョロッとしただけだけれなので、私もハッキリしたことは言えないけれども、ステータスの象徴としてそこに行ったり、欲望の駆け引きというのもある。結構、エグいところもある。

あと、愚痴を言わない方がいい?とか何とかあるけれども、個人的にドンドン言わせた方がいいと思う。だって、この世の中、理不尽なこともあるし、くっそストレス溜まるでしょ? そういうのを抑圧させたくないよね。

もちろん、愚痴を言わない人は、物事をネガティブに捉えないから自然と愚痴が少なくなるというのも分かるけど、まぁ、人生いろいろとありますからねぇ・・・。

愚痴を言ったら、スカッとして、パァッと心が明るくなったりするじゃない。

ということを、テキトーに書いてみた。というか、この心得帳が何故か私のPCに入ってるんだよねぇ。欲しかったらあげます。

におい

外の空気をいっぱいに含んだ洗濯物のかおりで、幸せなきぶんになった。
これまでは手洗いだったので、洗濯物が乾くのにとても時間がかかっていた。洗濯機、水を絞り出してくれて、ありがとう。私の腕力じゃ敵わないわ。

なぜ洗濯機を使わなかったかというと、4階に住んでいて、洗濯機のある1階に降りるのがめんどくさいから。トータルの時間でいうと洗濯機を使った方が明らかに早いのに、洗濯物を洗うのが、ちょっとした息抜きだった。そして、いろんなことを気づける仕事でもあった。洗っているときの洗濯物のにおいで、自分の一日の行動の程度が分かる。よく歩いた日は、やっぱりたくさん汚れている。洗濯物を通じて、自分のからだを知る。

二度ほど洗剤で洗うと、きれいになる。でも、水で流すのは水が透明になるだけではちゃんと洗剤がとれないということに気づいて、洗う回数を増やす。

ああ、こういうことを、昔はやっていたのだなぁとか思いながら洗濯をする。

それで、4階にみんな干していたのだけれど、嵐で洗濯物が飛ばされて以来、禁止ということになった。もともと禁止だったのだけれど、マレーシアというのはルールがあってないようなものなので、みんな構わず干していたのだ。

しょうがないので、めんどくさいと思っていた洗濯機を使うことにした。なにより、細かいお金を持っておかないといけないのもめんどくさい。両替のために買い物に行ったりする。

でも、明らかに洗濯機を使った方がはやかった。私の腕力で絞った洗濯物とは大違いで、松下幸之助さん、ありがとう、と思った。あ、パナソニックの創業者です。

ここのは松下幸之助の洗濯機ではなく、よく見たことのない洗濯機で、AIUのものよりも期待していなかった。でも、きれいに洗濯と乾燥がなされていて、うれしかった。AIUだと2回も回しても乾かないの。

今日は1リンギのお札が足りなくって、洗濯を外に干した。

「ああ、めんどくさい」と、これまでよりは遥かに楽なはずなのに、なぜか手洗いのときよりもめんどくさく感じる謎な私。

マレーシアでは、晴れていても、とつぜん大雨がふる。
でも大雨がふる前に、おおきな雷が鳴るということにだんだん気づいてきた。

今日はお家でゴロリンとしてたので、雷が鳴ったと同時に洗濯物を取りに行った。いつもは濡れてもいないので、湿気で湿って、乾くのにの3日もかかるのに、今日は洗濯機のお陰で1日できれいに乾いた。

洗濯物をとり、この文章を書き終えた頃に、雨が降り出してきた。
ここの雷はカラダまでズンズンと響く。でも、誰も驚かない。「なんで驚くの?」と、昨日マレー人に言われて笑ったものだ。

毎日毎日、大粒の雨がふるのに、ここの人は傘を持たない。止むまで、みんなで集まってぺちゃくちゃ話をして、待つ。

雨という防具も持たず、待ち合わせ時間には集まらない。
でも、そんなときに生まれた余暇を思う存分たのしんじゃうマレーシアが大好き。f:id:Chii_xo:20170312191909j:image

中国人ルームメイトに支えられて。

中国人ルームメイトに支えられて。
 
「明日、健康診断だよ?」とルーミーに言われて初めて知った。健康診断があるのは知っていたけど、ルーミーがアレコレ面倒を見てくれるため、ひたすら放置。
 
「アレ持って、コレ持って」とルーミーに言われるがまま準備。ルーミーに言われるがままついてゆく他力本願寺の私。
 
時間に「分」という概念のない人の集まりなので、当然ながら出発も遅れ、それを待つ人々もボーーーーっと待っている。
 
でも、当人たちは時間が遅れている概念もなさそうだ。ここでは時計がなくても生きてゆける気がする。
 
 
病院に向かう途中で留学生が「書類を忘れたーーーー!」と騒ぎ出す。忘れものをしたのか、失くしたのかは分からない。
 
「いつ失くしたんだ?」とスタッフに言われ、「今朝!」と答えるも、笑っているので、これは嘘くさいなと思いながら、私はルーミーたちと目を見合わせて爆笑する。
 
「国際センターに寄って書類を取りたい!」と留学生が運転手に懇願する。スタッフは聞いているのか聞いていないのかよく分からない。
 
でも、最終的には、運転手が国際センターに行って書類を取ってきて、黙って渡してくれる。
 
「いえーーーーーーーい!」と、大騒ぎする約6人。
 
 
初っ端から注射であった。
一回の注射にかかる時間が長い・・・・・。
 
『これは・・・・痛いんじゃないか』と心配して震えていると、ルーミーが『大丈夫、私がいるから』と言ってくれる。
 
1人の注射に4人くらいで手を取り合って戦う私たち。
「怖いよー」と言っていたら、ルーミーがずっと手を握ってくれていた。
 
「針をグリグリってされるよ」と、その脇から言い出す日本人w
「やめてーーーーーーーーー」と言って、本気で涙が出てくる。
 
でも、ぶっちゃけぜんぜんイタくないなぁと思っていたら、「抜くとき痛いよ」と、追い打ちをかける日本人・・・・・・w
 
「やめて、やめて〜」と叫ぶ、日本語でw
 
終わったら「ああ、イタくなかった」と言ったけど、放っておくとカピカピの目やにができる程度の涙目になっていた。
 
 
かかった時間、4時間w
当然ながら、クラスは出られないw
 
オホホ〜
明日は、入国のスタンプを捺してもらいに空港に行くのさ〜
 
誰のミス?
私のミスw
 
どうやら3か月しか私は滞在できないことになっているらしいw
いや、1年います、がんばって滞在許可証の発行をもらいましたからな〜(^o^)
 
 
写真は病院にて。
久しぶりにティッシュが備え付けられているトイレを見たと、テンションがあがったけれど、いつでも日常に戻る用意はできている。だって、ポケットティッシュは常に5個以上、常備しているから。
 
気の向くままに好きなところに泳ぎ、世の中煩わしいことに無関心で無関係そうな魚たちを見ていると癒やされた。
 
でも、実は自分が気づかないうちに箱の中に入れられて他者にコントロールされている。私もたぶんそうだろうかと思う。
 
でも、仮にそうだとしても彼らは優雅だなぁ、と、口をパクパクさせている魚さんたちを見て思う。

 

 

あなたを縛りつけたい。

「においを嗅ぐのが好きなんです」

新妻が言った。

「僕のね、この辺りから彼女は嗅いでゆくんです」

新郎は首を右にちょっと傾け、左側の首筋を指差す。

新妻が新郎の首筋にくちびるを這わす光景が脳裏に思い浮かんでくる。

「それでね、だんだんと下にさがってくるんです。それで最終的には下に」

ー どの辺りです?

「ふとももを開いたあたり」と、指をさす。

「ほら、だって会社のお昼休みとかに女性とロッカーで何かしちゃっていないかって考えちゃうじゃないですか」新妻は言う。

それって、においを嗅ぐのが好きなのではなくって、露骨に言っちゃうと、浮気チェックじゃないの?

男性は嫌そうな顔をしていない。

そうやって監視されるのが好きなのだ。そういうところに愛を感じるのだ。

このふたりの間に生まれる世界観というのがあるのだろうな。と私は思った。

そしてー

それと同時に思ったのは、『やっぱり結婚制度を壊しちゃうのって難しいんじゃないだろうか』ってこと。

結婚制度って束縛でしょ。自分以外の人を見つめないで、キスをしないで、ってことでもある。まぁ現実的にできなくはないけれど、SEXをしたら日本では法律で罰せられるわけです。

それで、なぜ結婚制度があるのかってずっと考えてきて、浮気とか不倫とかある以上、結婚制度ってムリがあんじゃないかな? って思っていた。

でも、違う考えも浮かんできた。

つまり、秩序を保つために結婚制度があるかもしれないってこと。

人によるんだけど、浮気とか不倫とかされちゃうと、すっごいイヤだ!って思う人がいる。中には狂気的になる人もいるわけです。そうしたら、争いごとが起こっちゃう。だから、結婚制度で縛っちゃう。

中には子どもを置いて出ていっちゃう人だっている。だから、秩序を守るために縛っちゃうかもしれないってこと。

 

(参照:新婚さんいらっしゃい!

私はスマホよりもぬいぐるみと遊びたい。

news.yahoo.co.jp

 

スマホの中にどんなアプリが入っているかにもよるなぁ・・・。辞書とか事典とか、株式情報のアプリだけ入れていたら、子どもはどんな反応をするのだろうか? ←あえて株式w

スマホ以外に絵本、積み木、スケッチブックで代替えってできないのかな?(外だと絵本とぬいぐるみ)私の友だちはオモチャの代わりにピアノを置いていたら、習わせていないのに子ども達がいつの間にか弾けるようになっていたと言っていたから、子どもの自立力、創造力って無限大だよね〜。

忙しくても放っておけば子どもって一人で遊ばない? 私はよく散歩に行ったり、親の店がいくつかあって、それを自転車で回ってお姉ちゃん達と遊んでた。← 家の人にはそこそこ放置されていたけど、楽しかった。

それに、子どもが泣いていたら、他人に迷惑をかけない程度に泣かせておけばいいじゃない。

依存症や怒りっぽくなっちゃうのも怖いんだけど、親がスマホばかり見ていて子どもを見る時間が少なくなることも怖いかな。

子どもの様子や状態をちゃんと洞察しないと、子どもの成長のための適切な対応ができない。

それに、子どもとの対話が少なくなっちゃう。子どもにとっては周りとの対話が大切だし、そこから愛情を感じるからね。

だから、妹に呼びかけられたら、よっぽど大事なことをやっていない限り、目を見て言葉を返すようにしている。

FB

女性はどう生きたらいいのかしら?

女性はどう生きたらいいのかしら?
と、様々な記事を見ながら考えてしまった。
 
「女性だけがお茶を淹れ、制服を着る日本企業」(クーリエ・ジャポン)という言葉が、この思索の発端である。
 
女性がお茶を淹れる風習は、ブルゾンちえみが、嵐の二宮和也くんに書き下ろした台本にも描かれている。
 
二宮和也くんが女性にお茶を淹れてもらい、「あ〜、男に生まれて良かった」と言う。ここに、日本の男女の立ち位置が見えているように思う。
 
日本では女性が事務や受付をすることが多いので、お茶を淹れるのは女性の役割であることが多い。これは、女性が事務職や受付を好むのか、企業側が女性を選んでいるのかはちゃんと見ないと分からないが、恐らく前者が多い。
 
現在はかなり変わってきているが、会社によっては出社したら女性が男性のお茶を淹れたり、男性が女性にお茶を淹れてくれる?とお願いしたりする場面がある。これは、恐らく、女性が家庭において台所仕事を任されることと関係しているように思う。ただし、男女を違う扱いをしないという風潮が強まっているために、政府系は恐らくやっていないし、企業もそのような風潮により変化が起こっているだろうと思う。
 
まぁ、それは社会の風潮というだけの話であって、どれが正解とかいう話ではないと思う。
 
クーリエ・ジャポンでは、下記のような女性像を理想としていると説いている。
「欧米ではビジネスの場でも恋人関係でも、こうした対等な男女関係が求められます。日本女性のどこか弱々しく受け身な「かわいらしさ」が理解されない原因はここにあるのです。」
 
でも、それなら何故、フォーブスで出ているようなことが言われるのだろうか?
「成功しているビジネスマンは、アメリカ人の収入を得て、中国人のコックを持ち、イギリス人の家に住み、日本人の妻を持つ。
 
・成功していないビジネスマンは、中国人の収入を得て、イギリス人のコックを持ち、日本人の家に住み、アメリカ人の妻を持つ。」
 
 
これらの記事を読んでいて私は考える。「人間は、周りの理想に近づこうとして生きているのかしらね?」と。それは、社会との摩擦や亀裂を避けるためかもしれないし、他者に嫌われたくないという心理かもしれない。
 
私はどうするのかというと、めんどくさいね、正直。
まぁ相手によって見せる表情とか感情って違うから。好きな人の前では照れてるかもしれないし、ふてくされているかもしれないし、相手を目にしてみないと正直自分の反応ってよくわからないよね。

「言葉と空気の力」

「言葉と空気の力」
いろいろな人との会話の中で得たことを、私は書き留めている。目の前で書き留めることもあれば、あとでこっそりパソコンに入れ込むこともある。インターン中は、感じたことを都度スケジュール帳に書いていた。
 
そのうちの1冊のノートを見返していた。記憶のなかに確かに残っている言葉たちだけれど、メモとして「記録」が残っていると、私の脳で歪められていない「確かな言葉」として確認できて、よりしっかり噛みしめることができ、じわりと肌に細胞に、心に染み込んでゆく感じがする。
 
悩んでいたときにくださった言葉たちを、今日は見つけた。それを「確かな言葉」として目で確認することで、さらに勇気を貰う。
 
「言葉ってすごいなぁ」と思う。
 
 
私は人とお話をするのも好きだけれど、一人の時間もとっても大切。それは、人と会って感じたものーそれは言葉だけではなくって、空気とか、目線とか、世界観とかーそれをしっかりと噛みしめるためなのかなぁって思う。
 
私は欲張りだから、相手から最大限のことを学びたいという想いが強い。だから、相手のくださった言葉、態度、気づきをメモをする。こんなことを言うと、相手が私にかける言葉に慎重になるかもしれない。いいことを言うとかそういうのではなくって、不器用さの中ににじみ出る空気、イジワルな態度ににじみ出る人間くささとかも大好きだから、その人のままでいい。その人あるがままを感じたいと思いながら、私は人と会っている。
 
それで、感じとるものが多いからか、自分の中で噛みしめて味わう時間が欲しくて一人になる。
 
昨日のセミナーでも様々な気づきや感動があった。それを言葉にしたいと思いながら、言葉にする気分になれなかったり、言葉にできないこともある。そんなときは、あのときに感じたことを、頭のなかでぐるぐるって回して眺めて楽しんでいる。