自分を知り、社会を知り、そして、仕事が見つかる?

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会社に限らず、人生にはイメージと現実とのギャップって絶対にあるよね。私は会社の空気とか習慣とかを外部からでも洞察する手段をアレコレ試してみて、ある程度は推測できたりする。それでもやっぱり実際に働いてみると全然違った風景が見えてくるから、このギャップを埋めることはできても、完全には埋まらない。だから、そのギャップを埋めるためのインターンシップでもあるんじゃないだろうか。

ミスマッチが起こるのって、先に言ったギャップに耐えられない人とかもいるのだろうけど、あとは・・・自己分析が足りていないのではないかと思うこともある。

確かに努力は大切で、どの環境でも適応できるように努力はしなきゃと思うけれども、でも、やっぱり人間には個性というものがあって、その人の能力を一番発揮できる分野というのがある。その分野を自分で気づけている人は長く働ける企業を選ぶことができるのではないだろうか。

一方で、特筆すべきなのは、離職率がめちゃくちゃ少ない企業もある。これはね・・・めちゃくちゃ、応募者の人間性を見て、分析していると思うよ。応募書類にはかなり沢山の文章を書かせていたはずで、その理由は恐らく文章に人格や考え方が出るからだと思う。だから、文章を見て、応募者の性質を見る。面接も人間重視って言ってたね。そこの人事の人が、違う企業を名指しして「あそこの離職率が高いのは、とりあえず大量に採用しちゃからなんじゃないか」みたいにチラッと漏らしたことがあった。

まぁ、私は雑草みたいな人間だから、どの分野に置かれようと全力で働くけどねぇ。

自然と広がる人との輪っかが心地よい。

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友だちが自分の知らない人を呼んでくるのがイヤという話らしい。
それって、人に気を遣い過ぎるからそうなるんじゃないの? 話す気分じゃなければ話さない。気が向いたら、話してみればいいじゃないの。


留学していたら、毎日毎日それの連続ですよ。そうやって自然と輪っかが広がっていくんですよね。

この前のビーチは友だちに誘われて、20人くらいの団体の中にいた。つまり、1人以外は全員知らない。しかも、私以外キリスト教徒、日本人は私だけ。

私はビーチのぬかるみがすんごい気に入って、穴を掘ってみたり、カニを追っかけたり、ヤドカリさんを捕まえたり、貝殻を拾ったりしてました。

一人で。
別に私を仲間はずれにしているわけじゃないんですよ。みんな思い思いのことをやっているだけです。

他の人はみんな写真を撮っていたんだけど、私は写真よりも目の前にある現実に触れたくって、触れたくって。

また私を誘った友だちが私を適度に放置しながらも、たまに寄ってきて、いっしょに遊んでくれる。カニさんを捕まえたり。だから、それがすんごい心地よかった。

でも、帰る頃にはいつの間にかいろんな人と友だちになっていて、次は来週ね、という話になった。

私はムリして話していたわけじゃなかった。喋りたくないときは喋らないし、話す状況になったときには話していた。

そうやって自由に生まれる会話が心地よかった。

あなたは、どうやって「好き」を伝えますか?

あなたは、どうやって「好き」を伝えますか?
やっぱ、不器用になっちゃうよね?

というのが、今回のタイトルです。

「日本人の男性ってシャイなの?」

「うーん、どうだろう? そうかもね」

「日本人の男性が、女性に愛のお手紙を書いて、それを渡して、すぐさま走って立ち去ったって聞いたんだけど、本当!?」

知らないけれど、私も小学生の頃ににお手紙を書いたな。

男の子に「千登世は、あの子が好きなんだろう!」とからかわれたので、「私が好きなのは、○○くんではなくって、あなたですよ」と。自分でわたさず、友だちにお手紙を渡してもらった。ところが、それ以来、その男の子から避けられるようになった。一度二人きりになったときに、彼が顔を真っ赤にして、その場から走り去っていった。彼だけではなくお互いにものすごく照れている感じがした。

会話に出てきた男の子のように、返事を聞かずに立ち去る場面に遭遇したことは何度かあった。でも、その立ち去る速度が速すぎて、「あらまぁ何が起こったんだろうか」と思った。

一度目は、学校の階段で「好きだ」とこちらに叫び、相手が走り去ってゆく。そして、少し進んだところでこちらをチラと一瞬だけ振り向く。頬が赤い。私は唖然とした。「誰に言っているのだろう」と思って、周りを見渡したけれど、私とその人しかいない。

目の前に起こったことが分からずにボーっとしていると、相手が立ち去ってしまった。一瞬のうちに起こった出来事だったので、私は幻を見たのだと思った。そもそも、私はどう客観的に見ても美しくはないので、こういう現象が起こること事態があり得ない。そのために、「今のは幻」という結論に至った。私は当時この人のことが好きであったが、それだけに「これはきっと幻であろう」と思い、そのまま何もなく、この人と話すことなく私は転校した。

二度目は、電話であった。家に電話がかかってきた。

「千登世さんはいますか?」

「私ですけれど?」

そうすると、「好きだ!」とだけ相手が言って電話を切った。

私は唖然とした。そもそも、これが誰なのかがまったく分からない。ますます困惑するばかりで、相手の意図がまったく分からない。しかも、電話はすでに切れているので、こちらは反応のしようがない。イタズラ電話だろうと当時は断定した。それで、直後にまた電話が鳴ったので、電話を取るなり「ばかやろーー!(あはははは)」と言って電話を切った。マジで私はクレイジーとしか言いようがない。本気でイタズラ電話だと思ったので、そう返したのである。これが本気の電話であったなら、この人はどう思ったのだろうか。まぁイヤな女と思って嫌いになったかもしれない。

我ながらに、この展開には大爆笑です。もし、マジメに言ってくれてたのなら、お笑い系に終わらせちゃってごめんなさい。

大人になって分かる。
ああ、電話という手段も一生懸命考えてくれたんだと(もし本気であれば)。
こちらの答えを聞かずに立ち去るっていうのは、たぶん照れているんだなぁと。

かくいう私はというと、臆病者すぎて、親友が呆れ果てています。
一方で、愛の言葉を囁きたくて、シェイクスピアを読んだり、言語学を取ったり。でも、どこまでも不器用でシャイなのは変わらない。

もうっ、日本人とか関係ないよ、シャイになるんだよ、人に惚れると。バカヤロー。

異国人に挟まれて。

帰りの電車の中で、この書物を読んでいた。左隣の女性の視線を感じる。
「すみません。」と声をかけられる。
私は大変驚いて、お尻が座席からぴょんと飛び跳ねたような感じがした。

「驚かせてごめんなさい。」
「写真を撮らせていただけますか?」

残念ながら、私の顔じゃない。書籍の中身のことである。日本語が大変珍しいのであろう。アルファベットや漢字は著名だけれども、日本語は3種類の文字を使うので特殊なのかもしれない。

「どうぞ」と私は書籍を差し出した。

「君はどこから来たのか」
今度は右隣の人から声をかけられる。

「日本です」
「上から下に読むのか。非常に珍しいな」

縦書きなのが珍しいのであろう。現在ではインターネットで横文字で見ることも多いけれども、書物は縦書きである。いつも書物を持ち歩いているのでなかなか自分ではその特異性に気がつかない。

オジサンは楽しそうに話しだした。「おはよう」「こんにちは」「こんばんは」と言い、すこぶる機嫌が良さそうである。

「自分で勉強したんだ」

「何の本だ」

「よくわからないけれど、たぶん哲学でしょうか」

「哲学にもいろいろとあるだろう。何の哲学だ」

私はタイトルを見たけれど、何とも説明がつかない。

 

「構造と力(Amazon CAPTCHA)」と書いてある。

「知人に勧められたので読んでいますが、難しくて説明がつきません」

「ははは〜そうか〜」

そう言って、左隣の女性まで会話に巻き込んでいった。どうやら彼女はアフガニスタンの人であるようだ。

周りの人が不思議そうにというか、少し同情を含んだ視線でこちらを眺めている。ただ、このオジサンがあまりに陽気なので、私は読書に没頭したい気持ちはあったけれども、冷たい表情をできなかった。

でも、私が徐々に読書に戻り始めると、オジサンは静かになり、目的地に着くと静かに降りていった。

食中毒の苦しみを淡々と記録してみる。

真夜中の話である。
マラッカの報告書的な日記を書いたあとに、激しい疲労と、微熱感と、胃の不快感を感じた。

「ああ、また私はやりすぎてしまったのだろうか」
つまり、疲労なのにもかかわらず、文章を書くというさらに莫大な体力を必要とする作業をしてしまって、動けない状態になってしまったということだ。

これは私にとっては結構深刻な問題で、勉強をしたり文章を書いたり思索をすることによる疲労というのは本当に半端なかったりする。

自分の体力のなさは昔から自覚していて、実はかなり対策をすでに実行していたりする。勉強をするために毎朝一時間ランニングをしたり、通勤を自転車に変えたり、本当にいろいろとした。私としてはずっと勉強していても体力の消耗がないカラダを作りたかった。

ところが、大学に入学してからはさらに疲労を感じやすくなり、保健室の先生にも本当にたくさん相談したものだった。

「あなたは交感神経がずっと活発なのね。」
脳が活発に動いている状態と、リラックスした状態の2つの状態が交互にくるのが望ましいけれども、私の場合は、ひたすら興奮状態(=交感神経が活発)だから、それは非常によくないし、私はもっと休むことを覚えなければならないということであった。



昨日のことに話を戻すと、とても深い疲労を感じていたのは明らかであったのに、感じたものを新鮮な状態で文章に残すことの方を優先して、疲労を無視して書き続けた。そして、それを出してしまわないとゆっくり眠ることもできない私でもあった。

まぁ本当はもっと書き記すことはあったのだけれど、話の核心部だけ書いて、シャワーを浴びた。

お酒を飲んでいたので、お湯ではなく水のシャワーを浴びた。それで、寒気が増す。

ふらふらになりながらドライヤーをかけ、ようやくベッドに入る。胃のムカムカを感じたので、ビニール袋を枕元に置き、さらに体調不良で眠れなかったので、睡眠導入薬を飲んで、無理やり寝る。

それでも朝の5時頃に目が覚めてしまった。原因はやはり体調不良であった。自分の体温に疎い私だけれども、これは間違いなく熱があると思った。不快感で眠れなかったので、これをどう対処するかを考えながらも、絶望的な気持ちになった。

「こんなに体調が悪いのであれば、意識を失った方がマシだ」「コロッと死んでしまった方が今よりも楽かもしれない」という何ともヘンテコな方向に考えが及んだ。

そうとは言っても、他の深刻な病気と比べればどうということはない症状なのだろうが、これくらいで悲しい気持ちになる自分を見ていると、やっぱりいろいろと考えてしまう。

「健康っていかに大事か」とか
「自分の気持ちがいかに肉体に影響されているか」とか。

体調で気持ちがコロコロと変わるのであれば、自分の今の気持ちを信じることもできないとか。まぁ余計なことを考えるのである。でも、逆にそういう思索に及ぶ方が苦しみに対抗できるのではないかと、プラス思考も若干入ってきた。

寒くてたまらないし、吐きたくてたまらないので、今すぐにでも病院に行きたくなった。でも、病院の費用についてもよくわからない。

そこで、保険証書を出して、電話をかけることにした。だいぶテキトーに物事を片づける私でも、こういう準備はしっかりとしている私だ。

ふらふらになりながら、電話をかける。喋りたくないが、仕方がないので喋る。

医療費だけではなく、交通費(タクシー代)も保険会社が負担してくれるということで、ずいぶんと安心し、タクシーが使えるなら、今から病院に行こうかという考えになった。

でも、電話をかけ終わったあとには、病院の場所を調べる体力が失われていた。保険会社が代わりに予約してくれるようでもあったが、タクシーに乗ることも、そのときの私には非常に大変な仕事であった。

それで、私はひとまず熱冷まし用の常備薬を飲むことにした。病は気からというように、私はこれで安心して眠ってしまった。

何度か起きたけれど、症状は軽くなっていたようであった。睡眠のすごさを実感するも、胃のムカムカが抜けない。やっぱり寒いし、身体は痛いし、ふらふらとする。

病院に行く体力を吸い上げることも大変であったが、寝ていていつ良くなるか分からない状態を我慢するよりは、さっさと病院に行って楽になってしまいたいと思った。

そこで、かなりゆっくりめのスピードで、病院の情報を調べ、タクシーを手配し、必要な荷物を準備するという作業をどうにか終えた。

さっさと胃の中にあるものを出してしまいたいとも思ったが、出てきてくれないし、なによりそれを出す勇気もない自分である。

仕方がないので、胃の不快感を抱きながら、一歩一歩と階段を降りてゆく。もちろん、念のためにビニール袋を持った。これ、車の中で吐いてしまったら最悪だなぁと思うけれども、車にたどり着くことだけでも精一杯なので、その考えは頭の片隅に追いやられてしまった。

そこで、ついにチャンスがやってきた。寮から出てすぐにいよいよ食物が身体の中から出てきてくれようとしたのだ。でも、お手洗いには間に合わない可能性が非常に高かったそこで、持ち合わせのビニール袋がそれらを受け止めてくれて、無事に解決した。

これでタクシーの人には迷惑をかけずに済むという安心感に支えられて、車へと歩いていった。

病院は思っていたよりも遠くて、なかなかたどり着かない。痛む肉体と寒気で、ふたたび忍耐を要求された。

間違った場所にきてしまったタクシーの運転手が、いろいろと説明をするけれども、そういう話ができる状態ではなかったので、OK,OK、と言いまくって、とにかくその場をやり過ごした。

話すことが苦痛である。英語なので、身体から言葉が出てこない。単語も忘れてしまう。

保険会社と契約している病院ということもあり、医師が日本語を話せる人だった。英語でも構わなかったけれど、日本語だったので、私は妙に安心した。でも、なにより言葉を話したくないので、単語で答える。

私の会話というのは非常にテキトーで、そして、文章に比べてやる気がないなぁと、改めて感じた。

医師は胃炎、食中毒を疑った。結果、食中毒だと診断したらしい。

「食中毒はここではよくあることだからね」と。

そりゃそうだろう。衛生面を見ていると、日本とは天と地の差である。それは厨房を見なくても、トイレや人々の普段の生活を見ていればよく分かる。

そうは言っても、環境に適応することの方が私にとっては重要であり簡単でもあるので、気にはしないのである。これは自分の長所の1つであるとさえ思う。

私は食に対するこだわりが非常に強いが、そういうことよりも環境に適応することの方が重要で簡単なのである。日本国内であれば一晩寝れば環境に適応できる。マレーシアは水のシャワーと汚いトイレに1週間くらいは時間を要したが、今はすっかり慣れたので、次からはもっと適応までにかかる時間を短縮できるだろうと自負している。

点滴を打った。水もあまり摂取できない私にとって、点滴は非常にありがたかった。

ただ、やはり日本の看護師の丁寧さに慣れている私は、最初はマレーシアの看護師の注射が怖かったが、さほど痛くはないということを知り、あまり怯えなくなった。そうはいっても、やはり日本人の看護師の丁寧さには及ばず、しょっちゅう点滴の袋に何か不思議なことをしているので、怖くなったことは事実だけれども、そういうことを心配してもどうにもならない。

点滴のときには当然ながら身体が少々不自由になり、寝苦しさに今度は悩まされかけた。でも、これも気にしないと思い、昨夜と同じく静かにしていたら、いつの間にか寝てしまっていた。

目が覚めたときには非常に体調が良くなっていて、すっきりとした気持ちになった。点滴に薬を混ぜてもらったからだった。

まるで通りすがりのように医師が点滴室にやってきた。食中毒は出してしまえばすぐに治るけど、良くならなかったら、必ず来てねということであった。

胃に優しいものを食べるようにと言われたが、そんなものがマレーシアに果たしてあるのかと私は不思議に思った。大学のカフェテリアにはそのようなものがあると認識していないので、ショッピング・モールに行くことにした。

タクシーの運転手は、私を病院に迎えたということで、細やかな気遣いをしてくれた。寒くないかとか。優しいなと思った。

中華料理だったらお粥があると思ったので、中華料理店に入った。これが非常に愛想のない人だけれども、こちらが嫌いなわけではないということは分かっていて、こういう状況はマレーシアではよく見るので、動じる必要性もない。自分の要求をひたすらに伝えて、お粥と甘くないお茶を手に入れた。マレーシアでは飲み物に砂糖を入れるからね。砂糖抜きのジャスミン茶をくれた。中国ではジャスミン茶に砂糖を入れるのだろうかと不思議に思ったけれども、中華系マレーシア人は中華系マレーシア人としてのアイデンティティを持っていて、自己の文化とマレーシアの文化を併せ持っているので、砂糖を入れた方が自然な形なのだろう。なによりここはマレーシアだし。と一人で納得した。

ふらふらとはするけれども、体調はとても良くなり、テラスでのマレーシアの心地よい風が心地よくって、気分が良くなった。未来に幸せが待っているような気持ちさえするけれども、それはこの気候のお陰でしかないという現実的な思考をも併せ持っていた。

幸せがウンタラカンタラということを文字にしてしまうと、非常に微妙な気分になった。それと同時に、幸せは気分次第だという考えにも及び、いつでも幸せでいられるような気がした。

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きらきらきら。マラッカより。

マラッカにきた。
「来た」というより「連れてきて」もらった。

現在、休暇中の私は、無計画にその日その日を暮らしている。
人を誘うのもめんどうだし、オフの日に頭を使って旅の計画を立てるのが嫌だ。常に頭を使うことを強いられている感じなので、休暇中にそんな莫大な体力を使う気持ちになれない。

というか、私はそもそも中長期の計画がゴロゴロとありすぎて、そこまで手を回すと間違いなくパンクするのが自分でも分かっているのだ。だから、こういうのは自発的に動かずに、テキトーに流される形になる。

そんな私を見兼ねた友だちが、アレコレと計画を立て調べてくれていろいろと連れて行ってくれる。「どうせチイちゃんはどこに行きたいか聞いても何も言わないし、調べてきたよ」と。観光マップを見てもイメージが湧かないし、イメージと現実とのギャップは分かりきっているので、私はその場でそのときの空気と気分で行き先を決める。そんな私に慣れてきた友人は、こう嘆く。

「チイちゃんの気持ちというのがまったく分からないし、コロコロ変わりすぎて予測できないよ」

「誰もわからないよ。だって、私もわからないもん」と私は言う。



旅日記というのは好きではないが、物忘れが激しいので、記録としてちょろっと書いてみる。

その前にマラッカという街が歴史的に有名であるということを説明しておいた方がいいと思う。ここは世界遺産に認定されている街で、過去に様々な国に占領されてきた。

大航海時代ポルトガルから始まり、オランダ、そしてイギリス、日本、再度イギリスですね。だから、様々な文化が入り混じった空間で、洋風だけれども、完璧な洋風ではない感じ。

建築物が洋風なのは分かるけれども、それがポルトガルとオランダのどちらの影響を受けたものかはよくわからない。

町並みを見ながら歩いていると、ミュージアムばかりがある。ミュージアムも内容により好き嫌いが分かれるけれども、町並みの方が場の空気を全身で感じることができるので好きだ。



疲れてきたので人力車に乗った。すごく重そうで大変そうなのだけれど、それを漕ぐお兄さんの横顔がとてもキラキラとしていた。幸せそうなのだ。

「あなたは力持ちですね」というと、キラキラした笑顔で「毎日漕いでいるからね」と言ってくれた。本当に幸せそうで、そんな人が漕ぐ人力車に乗って見るマラッカの街は、なお美しく輝いて見えた。

このお兄ちゃんのキラキラした笑顔に、その背景の中華街が、今日の私の頭にいちばん焼き付いている光景かもしれない。

このように素敵な笑顔ができる仕事ができるのはさぞ幸せだろうと私は思った。きっと、このお兄さんはマラッカも大好きなのだろう。



人力車を降りてからは、漢字がたくさん書かれた店が並ぶ通りに行った。たくさんの中華系が運営している場所なのだろう。

マレーシアはマレー人の次に中華系が多い。

そこでインドネシア発祥のカキ氷を食べた。中華系の人が運営しているお店であった。ここではじめて自分が日本人だと言ってあまりいい顔をされなかった。別段反応をしなかっただけかもしれないし、特に日本人だということは気にしていないのかもしれない。でも、一瞬だけ微妙な表情が店主の顔に浮かんだ気がした。

でも、「とっても美味しかったです」と伝えると、はじめて笑顔を見せてくれた。

次は、気に入った服屋に入って、たくさん試着する。中華系のお店の人にカスタマイズしてもらったり、感想を聞いたりする。「どう?どう?」「こうしたらいいかしら?」などと、たくさん相談に乗ってもらう。手づくりの服で、素敵だったので、4点購入した。割引がなかったようなので、お店のお兄さんが自腹で割引をしてくれて、本当に感動したものだった。

あまりに感動したゆえか、日本人として、中国との微妙な関係に思いをめぐらせた。「どうして仲良くできないのかしら?」と。

そして、お店を出たあとに、私はマレー人の友だちにこう聞いた。

「日本と中国の仲があまりよくないのは知っている?」

「知っているよ」

「どうして?」

「だって、中華系マレーシア人と・・・・・」と、ウンタラカンタラと言う。

ん!?
なんで、そこで中華系マレーシア人が出て来るの? と思った。私は中華人民共和国の話をしているつもりでいたし、そもそも中華系マレーシア人と日本人ってそんなに深い関係があったのかしら? そう私は思った。

そこで、詳しく話を聞いてみた。

「知らないの? 日本がマレーシアを占領していたときに、日本人が中華系マレーシア人をひどく苦しめた (torture) んだよ」と。これは、マレー人よりも中華系にひどく当たったという意味だと私は解釈した。

私はとてもショックを受けた。知らなかった。そして、これはきっと容易に踏み込んではいけない話なのかもしれないとも思った。

それは中華系の人の前だけではなく日本人の前でも。それは、こういう話は証拠を持って事実関係を把握した上で議論しなければならないと言う人がいるからだ。

占領・被占領の関係があると、やはりどうしても占領する側が被占領者につらく当たるでしょうという意見もある。

これは学術的な議論が続くほどに難しくて繊細な話である。



その後は、懲りもせずにココナッツアイスを食べた。そう、あのココナッツ・ジュースは、やっぱりちょっと苦手だった。でも、好きになるまで食べ続けるという強い意志のある私はアイスを食べた。最初、生のココナッツの味を思い出したけれど、次第に美味しくなって、最後には大好きになった。



最後に、クルーズに乗った。マラッカの町並みが心地よくってボーっとした。ただただ、その空間を感じた。

写真は、クルーズに乗るまでの道のり。もっとマラッカらしい雰囲気の写真はあるけれども、それはきっとネットにゴロゴロあるし、みんな見ているだろうから。

空と光がきらきらと輝いていて、心を奪われた景色。

水面に反射する光が、とってもまぶしかった。

 

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