共同生活での衝突 〜そこから、トラブル対処法、人間関係の築き方、子育て、社会について考える。

共同生活での衝突
〜そこから、トラブル対処法、人間関係の築き方、子育て、社会について考える。
 
私のルームメイトは睡眠時、光と音にとても敏感である。どのくらい敏感かというと、3枚の扉を経たシャワー室でのドライヤーの音、シャワーの音、寝室でのタイピングの音が苦手である。本人はさすがに言えないようだが、扉を静かに開け閉めしたり、物をそっと置く音も苦手である。まぁ、言ってみれば、文字通りすべての光と音を嫌う。
 
最初はガマンしていたようだけれども、だんだんガマンできない自分に気づいたようで、少しずつ私に要求してきた。「光を消してくれ」「シャワーは0時以降浴びないでくれ」など。寝室の外のキッチンの光を消してくれーという意味である。だから、真っ暗闇で行動してみたけれども、そうすると、今度は物にぶつかって音が出るという問題が出たため、アイマスクを貸し、私はスマホの明かりで部屋の中を動くということにした。
 
ちなみに、彼女の要求は「0時に寝ろ」であるが、さすがにそこまではできない。2日しかもたなかった。ここまでくると、私も少々嫌な感情が芽生えてきた。文章を書くときは、冷静でなければならないと思っているが、この点は少々感情的に書かせていただくと、「他人のライフスタイルという人生と関わる根本的なものを変えるようによく平気で要求できるな」と思った。しかしながら、彼女もガマンしていた上で要求していることは分かっていたし、彼女の睡眠の質を下げることをすれば、今度は彼女の生活に悪影響が出る。こちらも、「人生に影響を与える」のである。しかも、このような神経質さは、彼女の「意志」で変えられるようなものではない。だから、私はとりあえず、要求を実行には移してみた。その上で、自分なりに工夫を重ねた。
 
私は0時に寝ることも可能ではあるけれども、毎日は無理であることが次第に分かってきた。ただ、最大限静かにすること、電気を最大限消すこと、そして、シャワーの時間帯を変更し、自宅では一切勉強をしないということを決めた。
 
ところが、最近何度か、朝まで図書館で課題をやっており、5時頃に帰宅していた。大切な課題であるから、それくらいは理解してくれるだろうと思っていた。さすがに私も毎日徹夜はできないし、これは仕方のないことである。当然ながら帰宅時は最大限静かに行動していた。ところが、彼女はそれでも too noisy (とってもうるさい)と言う。私は甚だショックであった。(ここから感情的な自分になるが)最大限の努力をし、生活スタイルも変え、勉強場所も変え、文句も言わずにやってきた。その結果が、too noisy である。さすがに泣きたくなってきた。
 
彼女はさらにこう言ってきた。「0:00ー7:00までは「静かにする時間」だと契約書に書いたでしょ?」(感情的な私→)この言葉は、私が生活スタイルを彼女の睡眠の質を保証するために変えているということを自覚していないのではないだろうか?と感じさせる言葉である。私は、彼女が私が生活スタイルをわざわざ変えていることを気づいていると思っていた。理由は、彼女は勘のいい人で、私が友達を家に呼ぶことをあまり好まないということを察知して、友達を家に呼ぶことをやめたのである。私は何も言わなかったが、彼女はそれくらいの洞察力を持っている。
 
私はついに言いたくないことを言わざるをえないと思った。
「「静かにする時間」の定義は、人それぞれだ。たとえば、私の前のルームメイトは、部屋での作業や小さな明かりを受け入れていた。だから、あなたに自分の活動を受け入れろと言う意味ではなく、「静かにする時間」の定義は人それぞれであるということは理解して欲しい。あなたの定義は「一切の音を消し去ること」であるが、私は当初そうだとは認識していなかった。」と私は言った。
 
そうすると、彼女の国と日本では定義が違うんだね、と返してくるので、「国籍」ではなく「個人」により定義はまったく変わってくる。私の前のルームメイトはスペイン人と台湾人だと返した。
 
この点を理性で理解させておくのは非常に重要であると思ったので、ルームメイトにきちんと説明をした。
 
さて、次は、自分の感情をどこまで言うかが問題となってくる。こういうとき、感情的になっても建設的な会話はできないと私は思っている。ただ、もしも彼女が私が彼女の生活スタイルに合わせるために使った労力を理解していないのだとしたら、ある程度理解してもらいたいという感情が湧き上がってきた。彼女もそれを理解することで、何か考えるかもしれないし、私も努力(努力という言葉は使いたくないが、他に言葉が見当たらない)をしてきて、その上で too noisy と言われ、契約違反だと言われて、(感情的→)文字通りショックなのである。もう泣きたくなってくる。「わたしだってがんばっているのに、どうしてそんなこと言うの?私だって、あなたにぐっすり寝てもらいたいよ、でも、私もつらいよ」と言いたくなってくる(←超感情的)。
 
ただ、やはり自分のマイナスな感情をぶつけることは、冷静さを欠く可能性が高く、冷静さを欠いてしまうと、問題がより深刻になる可能性がある。だから、私は「第三者の目」を入れることにした。Regident Assistant と言われる、学生宿舎の管理人で、学生がやっている。私は彼にすべての内容を報告し(管理人なので知る権利がある)、彼の意見を求めた。そして、自分が相手にこれから言うかどうか迷っていることを彼に伝えて、内容を見てもらった。それは、やはり自分が払った犠牲(要求を受入れても、なお責められることから、「犠牲」という言葉が適切のように思える)についても書かれているのもあり、「冷静な第三者の目」を通しておきたかった。以前のルームメイトとも間で問題が起きたときも相談に乗っていただき、「ここまでは言わない方が今後のためにいい」などというアドバイスをもらったこともあるためである。
 
彼は、私の感情については説明した方がいいと言った。それは、ルームメイトが私の努力について理解していないようにも見えるからということであった。だから、私は自分が払った犠牲、そして自分の状況を説明した。実は、私は不眠症であることも言った(そんなことは誰にも言いたくないのである)。そうしたら、彼女は「そんなにストレスに思わないで」と言い、要求をほんの少しではあるが緩め、自分もここまで光と音に敏感で、どう眠ればいいか悩んでいると言ってきた。これは、彼女が自分でも自分の性質を変えられなくて困っているということである(言われなくても分かっているから、こちらは対応しているのだが)。私は彼女のこの反応を見て、自分が感情を出さなすぎていたために、彼女に私の辛さが伝わっておらず、要求を強めたのかもしれないと気がついた。私は、自分の行動をサラッと、何事もなかったかのように変化させるからだ。
 
まぁただ、ここまで来て、この対応には大変疲れたのである。彼女だって疲れているはずであるが。彼女が本当に些細な音で起きてしまうのは、空気で伝わる。彼女の辛さも、ストレスも伝わってくる。寝不足の辛さは、不眠症なだけによく分かる。だから、余計に疲れたのかもしれない。私は、言いたくないことをもう一つ言うことにした。
 
「耳栓をつけてくれ」
他人に金を使って耳栓をつけろと言うのは気が引けたので言わなかったが、ここまで言うと言わざるをえない。ところが、耳栓をすると眠れないと言う。諦めるしかないかな、と一瞬思ったが、私も努力しているのだから、あなたも努力してくれ、とにかく試すだけ試して欲しい。そう言ったら、早速今日買ってきたようである。彼女の対応には感謝している。
 
以上が、一通りの流れである。
 
【人によって神経質な部分が違う】
この点については、人生を生きる上で認識していた方がいい。人間は、人によって神経質な部分というのが違う。
 
私のルームメイトの神経質さは、皆が驚く。ただ、この神経質さは睡眠時の光と音のみである。他に関してはこだわりは全くといっていいほどない。そして、神経質さというのは人によって全く違う。たとえば、茶碗を洗うとき、「すすぎ具合が足りないから、洗剤が残っていないか心配だ」と私に言ってくる人もいれば、「水道代がかかるから、そんなにすすぐな、サッとすすいでくれ」と言う人もいる。物を置く位置をキッチリ決める人もいれば、乱雑な人もいる。
 
私は5社以上の会社に勤めたが、会社によって文化がかなり違い、仕事のやり方はだいたい相手に合わせていた。それは、相手のやり方に合わせていれば、相手が文句を言わなくなるからである。文句を言われると、余計な精神的な負担があるので、相手に合わせる。相手がするように仕事をやり、相手が不快感を少しでも見せたら改善し、注意されたらもちろん改善する。だから、お局様的なキツイ性格の女性とも私はケンカせずに過ごせたのである。お局様たちは相手に多くを要求するので、言うことを聞いていれば敵にはならない。これは、恐らく嫁と姑においても言えるだろうかと思う。
 
ここで重要な認識は、自分が考えている「常識」「文化」「ルール」が、「絶対ではない」ということである。これは考えてみれば当たり前であるが、無意識のうちに人間は「こうあるべきだ」と思っており、相手がそれをしないと不愉快な感情が自然と湧き上がってくるの。それが人間である。
 
もちろん、私は他者にこれらを理解して欲しいと思っているわけではないから、他人に合わせるという道を選んだのである。だって、他人にこれらを理解させるよりも、自分が適応した方が遥かに楽で、人生が生きやすいからである。
 
【家庭背景の考察】
私のルームメイトの神経質な一面については、本当に他人に驚かれる。「実家ではどのような生活をしていたのか」「こんなんじゃ、都会に住めない(騒音がするからね)」と言われた。まぁ激しく神経質な人というのは稀にいるのだが。
 
これは推測でしかないが、彼女はご家族と睡眠時間がほとんど同じか、あるいは「一人部屋」を与えられていた可能性が非常に高いと思う。一人部屋というのは、自分の好きにできるからだ。これを考えたときに、私は子育てについて考えが及んだ。一人部屋を与えるな、という主張はしないが、子どものうちから「環境が整っていない場所(あるいは非日常空間)」で寝泊まりさせる必要があるのではないかーということである。たとえば、キャンプに行かせたり、友人知人、親戚の家に泊まらせる(そうすると社会性も養われる)。それだけでルームメイトのような神経質さが出てこないとも言い切れないが、やはり「環境適応能力」というのはあった方がストレスは少ない。私はずいぶん悩みごとが多いように見えるようだが、ストレス耐性というのはあり得ないくらいに高い数値が毎回出る。専門家にも「君は、よくこれだけのことを耐えてきたね。これだけ乗り越えたのであれば、今抱えていることは、疲れさえ取れれば乗り越えられるよ」と言われた。それは、私のいた環境が非常にひどく、多少の困難なことに嘆きはしても、ある程度の耐性があり、また多種多様な環境にいたために、環境に応じて適応する経験を沢山積んでいるからである。
 
【共同生活を通じて自己を知る」
私のルームメイトについては、また別の意見をもらった。「ここまで神経質なのに、なぜ共同生活などをわざわざ選んだのか」という疑問である。
 
これも推測だが、恐らく彼女は、共同生活を通じて自分の神経質な一面を知ったのではないか。というのも、彼女は最初は「電気はつけたままでいいよ」と言っていた。これは自分が早く寝てしまうので、私が活動できるように配慮したから言ったのであるが、これを見ていると、自分が光で寝れないということへの自覚がなかったのではないかと思えてくる。
 
ここからも彼女の実家での実態が推測できる。
 

ここまで書いたところで思考が途切れたので、私は満足したのだろうと思う。どうも書かないと頭の中から、この話題が消えないのである。スッキリしたので、ようやく眠れる。

文章を書くときの鉄則は「自分の感情を距離を置くこと」である。一つの理由は、客観性が失われるからである。だから、自分の感情が入りすぎているときには、非常に注意しているし、冷静であろうと努めて文章を書く。しかしながら、上記の文章で、自分が感情的になった部分には注意書きをしたように、この部分においては自分の感情に素直にならざるを得なかった。それはそれでいいと思うし、自分の中で湧き上がる感情を認めた上で自己を眺めることも、自分および状況を深く理解する上で重要である。感情をコントロールする力も重要ではあるが、感情を上手く解放させなければ、爆発したり、他者に対する敵意に繋がったりもする。
 
さて、私はどこでこの文章を書いているか?シャワー室の前である。とてもじゃないけれど、寝室でタイピングをする勇気はない。ルームメイトがいくら耳栓をしているとはいえ、彼女のストレスが肌で伝わってきて、私もその空気の中では平気でいられないのである。
 
最後に、この文章は少なくとも私のルームメイトを知らない人間に公開している。この文章が彼女に対するただのグチにならないように細心の注意を払ったが、できているかは分からない。ただ、目の前に起こったことから学んだこと、見えてきたことを、文章という形にせずにはいられなかったのである。