人間を見る眼。

【人間を見る眼】
 
これは、自分を守るために磨かねばならないスキルのような気がする。
 
最近、これはヤバイことになるぞ、と思ったら、ものの見事に当たった。なぜ分かったかというと、その人間が自分を過大に見せようとしたり(これは私も人のことを言えない)、そして、その誤魔化し方で、「この人は何かやらかすぞ」と思ったのである。
 
用心に用心を重ね、最小限の被害にしたけれども。まだ用心しきれていない気がする。
 
とてもこわい。
 
 
 
なんでこのカンが養われたかというと、人を騙す人間をたくさん見たからである。いい顔をしながら、綺麗な言葉を並べて、自分を美しく飾り立てたりしながら、自分の利益になるようにする。
 
義理の父親を思い出した。とても悪い人間というわけではないけれども、絶対に信用できない人間であった。私が10歳のときに私の父親になり、20歳のときに父親ではなくなった。
 
10歳のときに、これを見抜いていれば、再婚なんかさせなかった。
 
この人の心が汚いとは言わないけれども、この人がやったことがあまりに汚かったから、私は「心を磨こう」と強く決意した。(ただ、磨けているとは、決して言えない)
 
あれから数年経ち、電話がきた。妹の様子を探るためである。私は、彼の人間性を分かっているけれども、うまく付き合える。それは、人間の汚さを知っているからである。
 
 
ああ、私はこの人間と出会ったから、こんなに「人間」とは? と考えるようになったのだと、今気づいた。
自分を誤魔化さない人間になりたいと思った。
こんなに自分勝手な人間にはなりたくないと思った。
 
【自分の心の在り方が人生を決めるのだ】と、彼の破滅的な人生を見ていて思った。
だから、【自分の心】と向き合いたいと思った。難しいけれども、美しい心であらなければと思った。
 
 
 
 
ああ、
明日のテストは0点を覚悟せねばならないかもしれない。