過去と向き合う。

過去と向き合う。
 
勉強に集中できない。単位を落とさないくらいのことはやっているけれども、学べていない。教授の言葉が目の前をただ流れていくだけである。心の中に染みわたってゆかない。
 
一晩中、テスト勉強をしようと思った。
でも、過去のことが頭を駆けめぐる。振り払うようにして、教科書を見るけれども、言葉が心に入ってゆかない。
 
勉強が楽しくて仕方がなかったあの頃に戻りたい。
 
大事なときに、自分をコントロールできないなんて、なんて弱い人間なんだと思った。そう思うと涙がとまらなくなった。いろいろなことが胸の内側を駆けめぐる。
 
雑念が消えぬなら、もうクラスを休んでしまって、心の動きに身を委ねてみよう。
朝の6:30になり、このテスト勉強をしないことを自分に許した。授業を休むことを自分に許した。
 
そうしたら、涙はとまらないけれども、胸のつっかえが取れた。心がすこし軽くなった。
 
やはり、過去と向き合わなければならないのか。
そう思い知らされた瞬間であった。
 
大殺界
トラブルの起こる3年間。今年が最後である。そして、この3年は、この12年を振り返る期間でもある(らしい)。
 
私は、前回の大殺界で苦しんだことから、苦悩の原因をしっかりと見つめ、反省すべき点は反省した。だから、15年前のことは、自分のなかで消化していて、頭に浮かんでこない。
 
それからの私は、もう同じような苦しみをしたくないと思うがために、自分の心の動き及び態度を監視しつづけた。もちろん、目を背けたくなるときもあり、目を背けたこともあるし、改善できていないところもある。でも、私は苦しむたびに一応自らを省みてはいた。だから、今さら再び自らの過去を振り返る必要性はないのではないかと思っていた。
 
ただ、何度も何度も、過去の出来事が脳裏に浮かんできて、私の心を支配するということは、自らの中で、自分の過去を処理できていないのではないかと思った。
 
この12年。
本当にいろいろとあった。強い感情があるがゆえに、冷静に文章化できないことも多々ある。なぜ強い感情があれば文章化できないのかというと、自己擁護および自己顕示欲を示す言葉を発する可能性があるからである。
 
文章化をすると目に見えて残っていくので、他者だけでなく、自分にさえも嘘をついてしまう危険性をはらんでいるのである。
 
図書館のカーテンが開くと、辺りは真っ白になっていた。この雪を私は教室のなかから眺めるはずだった。
先生やクラスメート、いつも眺めている外の景色を思い出す。