実体験は小説やマンガになりうるか?

【実体験は小説やマンガになりうるか?】
 
これは、視点の置き方や、書き手の手腕により、良くも悪くもなる。ちなみに、特別な経験をすれば物語にしておもしろいものになるかというと、そうではない。
 
悪い例を出してみよう。
他者が驚くような経験をしたとしても、自分の感情に惑わされて文章を書いたときは、描いている内容が正確に描写できていない可能性がある。たとえば、自叙伝の中で「自分はこのようなスゴイ経験をしたんだ」という自惚れが見えることがある。あとは、「自己愛」が文章ににじみ出ている場合もある。その場合は、自分を「スゴイ人物」に見せようとする感情が働くことがある。そういった現象が文書に反映されたものは、作品として失敗する。
 
仮に「自己愛」が自分のなかにあったとしても、自分のそういった感情をも自分自身で見抜いた上で作品を書けば、恐らく成功する可能性が高まる。どうするかというと、そういった感情が文書に反映されないような書き方をするか、登場人物たちと距離を置いて、徹底的に客観的な立場を取るなどである。
 
ただ、私が思うに、あまりに思い入れが強い現象だと、自分が気づかぬうちに自分の都合のいいように解釈する場合もあるので、私はそういうのは作品とすること自体を避けた方が安全策かもしれないと思うことがある。
 
たとえば、私の元彼はドラマの演出家であり、私との別れが濃厚になってきた時点で私との恋愛をテーマにしたものを作った。彼は演出家だけれども、彼は脚本家を通じて自分の世界観を表現するタイプの人間である。だから、彼は台本を書いてはいないけれども、彼の世界観が反映されている。
 
そこで何が描かれていたかというと、私が彼のことをとても好きなように書かれているのである。確かにそういう時期もあったけれども、当時の私の感情とあまりに違いすぎて、私は冷めた目で見ていた。この人は私との別れが濃厚になってきたから、わざわざこういう描き方をしたのだろうか? と疑ったくらいである。つまり、別れそうだから、思い出に浸りたい気持ちになったのだろう。
 
もちろん、彼はプロであるから、作品の作り手の感情が過度に作品に入りすぎてしまうことのリスクは知っているはずである。だから、そういうことは一応は考慮されて作られているから、一般の観客から見ると、成功している。ただ、当事者としては「ちょっと違うな」という感じがするので、これはあくまで彼の見方でしかないと思った。でも、実際、そういう時期があったことは間違いのない事実だから、成功しているのかもしれないとは思う・・・。
 
【特別な経験がなくても、作品は創れる】
 
これは、黒澤明監督の言葉を引用したい。
「モネは睡蓮の庭の前で、何ヶ月もキャンバスに向かうことができる。でも画家志望だった自分は、あっという間に描き上げちゃう。モネが作品を完成させるのに何ヶ月もかかるのは、「他人には見えていないもの」が見えているからだ。それが才能なんだ」
 
つまり、大きな事件が起こらなくても、そこに何かを見つける視点が重要であるということだ。多くを感受し、洞察し、それらを作品にするだけの腕を持っていれば、わずか10秒の出来事であっても、一つの世界観を持った一つの作品に成りうるのである。
 
【なぜ実体験を書くのか?】
 
私の場合は、経験を「分析」するために書く作業をするけれども、これは「作品」ではなく「日記」である。
 
それを「作品」とする場合は、そこに「価値があるかどうか」を考える。もちろん、私が価値があると考えていることが、人によっては価値がないと考えることは、どの作品にもいえるけれども、私はこの点を非常に重要視している。それは、やはり、現代人が忙しく、素晴らしい書物がたくさんあるので、私の文章を読むくらいであれば、他者の作品を読んだ方がよっぽどマシだと思うからである。
 
ただ、下記の2点の要素があれば、私は作品にしてもいいと思っている。
1.過去に同じものを書いた人がおらず、仮に似たものがあったとしても、別の世界観を構築していること。
2.その経験を経た上で、学ぶべき点があること。
 
私が仮に実体験を書くことがあるとすれば、恐らく2.の要素を多く含む場合であろうと思う。
 
たとえば、親と確執があった場合、私は「何故その現象が発生したか?」と分析をする。親の教育観を観察し、それが子供にどのように影響を与えたかを分析するのである。そして、「同じ現象が起こらないようにするためには、何が必要なのか?」と問いかけてゆく。
 
また、私はある人物の人生が破滅したのを、この目で見てきており、自分もその問題の中に入ったことがあった。このとき、私は「何故この人間の人生が破滅したのか?」とずっと考えてきた。この原因を明らかにし、そこから教訓を言語化すれば、後世の人間がそれを教訓に人生を上手く生きれるようになると思ったのである。
 
だから、私は18歳のときに、自己の経験を分析し、そこから学ぶべき点を明らかにしてきた。
 
 
【実体験を書くことの危険性】
 
ところが、実体験を書くことは少々危険である。理由は下記の通り。
 
1)当事者を傷つけるから。
トップにこれを挙げたい。内容が深くなればなるほど、この可能性が高まるだろうと思う。そのために、実体験を書くのであれば、自分が死ぬ直前か、関係者が亡くなった後の方がいいのではないかと考える。
 
2)実体験の中に、自分が知らない現象が存在するから。
そのために、自分の洞察および書いた内容が間違う可能性がある。ただ、ドキュメンタリーでなければ、作品としては成り立つ。
 
3)他の視点を意識して取り入れなければならない。
実体験から教訓的なものを抽出する場合は、一つの経験のみを描写することによって、違った視点や違った考えを排除してしまう可能性がある。そのため、他の事例との比較が必要である。
 
教訓的なものを抽出する場合というのは、一つの価値観を主張する形になり、他者を洗脳することに似ているので、あまりやりたくないという考えになってきた。でも、やはり、人生が破滅したりする人間を見ていると、問題点は指摘しておく必要性を感じる。
 
 
とつぜんめんどくさくなってきた。
ここで終わる。