精神分析

いよいよ確信を持つようになった。
 
「私に必要なのは、精神分析なのだと」
そして、私は、これを自分自身で行おうと思っている。理由は、医師に頼りたくないこと、カウンセラーを信用していないこと、そして、自分でも目を背けてしまうことがあるために、他者へは口外せずに、自分の中で解決するのが最善策だということの、3点が理由である。
 
分析は常々行っているから不要と思っていたが、おそらく、深層心理までは分析しきれていなかったように思う。だから、もやもやするのである。この12年は、その前の12年と比べると、物理的ダメージは少なかったけれども、傷の度合いは、さらに深まり、深刻であった。
 
ただ、傷ついても、立ち上がって生きてゆかねばならなかったので、私は立ち上がってきたけれども、私は自分の深層心理に関しては見ないようにしていたのだと思う。
 
その内容を病院で聞かれるから、答えたら、医師は甚だ驚いた顔をし「君、よく耐えられたね。これほどのことを耐えられるのであれば、君は疲労さえ取れれば、すぐに元気になるよ」と言う。それだけで、後は処方するだけである。助言も、まったく助言になっていない。この医師が人がいいことは分かるが、相談する気分にはなれない。
 
睡眠薬は必要だが、安定剤は飲みたくはない」と言ったが、組み合わせた方がいいからと言う。さすがに専門家にこれ以上反論はできない。
 
睡眠薬は別にしても、安定剤というのは、まったく使う意味がない。結局、「問題を解決するのは自分以外の何者でもない」のであって、私が抱えている問題を解決することが根本的な解決策である。医師に泣きついて解決する話でもないのは分かりきっているけれども、学業を成立させるために仕方がなかったのである。
 
私は悩んでいるだけなのに、病名をつけられて非常に違和感を感じる。悩んでいるだけで病気になり、薬を出される。むろん、それに頼って一時的に心的負担を軽くすることが必要なくらいな出来事は、人生生きていれば何度かある。病名があればクラスも休めるが、病院のレシートを人に見せたくないので、減点を食らってもレシートは見せない。
 
いやはや、この頑丈な心にトラウマという言葉は無縁だと思っていたが、これらの経験が恐怖心となって私の現在の行動に影響しているので、大げさすぎるが、簡単に言うとトラウマと言っていいだろうと思う(やっぱり大げさすぎる気がするが)。どうやったら、解消するのかが分からないので、フロイトを読んでいたのだけれど、これをしてしまうと、勉強しない人間が、ますます勉強をしなくなる。だから、しばらく保留している。