逆境

Sweet are the uses of adversity.
逆境が人に与える教訓ほどうるわしいものはない.
 
これは真実だとは思うが、人によるとも思う。逆境から学べない人間もいるけれども、学べなくても逆境のお陰で人間がいい意味で変わったりするので、この場合は少しのプラスである。逆に、逆境により負のスパイラルに陥ったり、犯罪に手を染める可能性もゼロではない。
 
逆境が負に陥った現象を、説明しようと思う。
 
私は、昔、悲劇が深刻になっていったことがあった。自分に責任はないけれども、自分の心も蝕まれてゆく。人へ優しくする心も失われた。そこで「逆境というのはそら恐ろしいものであるし、無意味である」と悟った。自分の人間性まで蝕んでゆくので、「逆境とは人を蝕むものである。まったくもって意味がない。逆境なき方がどれだけ幸せか」と思った。
 
ところが、戦い抜かなければ生きていかれないので、しょうがないから対策を打ち続けた。
自分の気持ちを晴れやかにする対策を打ちつづけ、感情をコントロールし、さらには、その冷たい自分の感情を観察することにした。
「ああ、人間は傷つくと、こうも冷たい人間になれるのだ。」と冷徹に自己分析を続けた。ああ、これが人間なのだ。と思った。そして、自分が冷たい人間であるがゆえに、人を傷つけないように、人と深く関わることを避け続けた。
 
心が冷え切った自分は価値がないと思った。
そもそも、逆境なんかクソだ!と思った。
 
いやいや、ところが、あれだけ辛かったのに「あれもいい経験だった」と今では思えるようになった。それで、人間の心の闇を自ら体験し、知ることができたのである。自分自身のなかに悪に似たようなものが生まれる過程も眺めることができた。しかも、それを克服する手法をも見つけ出したのである。
 
そもそも、私が大学入学を決意したのは、「現実逃避」である。勉強に逃げるのは私の昔からのクセである。つらいときに気分をいくらか紛らわせ、プラスに転じさせてくれるのが勉強であり、書物であった。
 
この出来事がなければ、私はここにいなかった。そう思うと、あの辛かった出来事も、トラウマはあるけれども、まぁわるいことではないと思えてきた。
 
ハハハ。やってやったぜ!と勝利にも似た気分になったが、こんなことを言うと、また痛い目に遭うので、調子に乗ったら警戒心を抱くに越したことはない。「たぶん、多少は自分に打ち勝ったのかもしれない…」くらいに思っておくのが丁度いい。
 
そう思っていたら、次にもまた大変なことがやってきた。これまでのことに比べたら、まだマシなのだろうが、これはこれで大変で、心が落ち着く間がない。仮に心が落ち着いたら、今度は社会問題のことが心配になり、またアレヤコレヤとやりだして、悩むのだから、これは自ら追い込んでいるようなものである。マレーシアで、このような性格をどうにか和らげたいものである。