【感受性】について考える。

【感受性】について考える。
私は感受性があると言われることもあるが、これを答えるのは難しい。私だって冷淡なときや、冷淡な部分があるからだ。何も感じない時期や事柄もある。一方で、新聞を読むだけで悲しくなってくるので、新聞を読まなくなった時期もある。いちいち感じていたら、心労で潰れるのは目に見えているために、深く入り込んでいかないようにすることもある。
 
感受性が強い。
と聞いて、他の人たちはどう感ずるのかを聞いてみたい気がする。私は、何も思わない人の方が多いのではないかと推測する。
 
私が強く主張したいのは、「他者に感受性があるということを前提として話をすると失敗する」ということである。自分が感受性が鋭いということは、世の中にバレると、意味不明な人間だと思われる。相手は冷淡な人間で、他人の気持ちが分からない人間だと思って接した方が楽である。
 
もちろん、世の中には感受性が鋭い人は結構いる。そして、それを私は何となく察知する。話をする中でだんだん分かってくることもあるし、話をしなくても、目の動きで分かることもある。
 
感受性は、天性のものに加えて、経験によって鋭くなる場合もある。経験がなくとも、ある程度の感受性がある人もいる。逆に、経験を積むことによって、耐性ができて、強い心ができ、経験を積むにつれて、そこまで傷つかなくなるようになることもある。
 
 
「他人に共感できる人間」の方が圧倒的に少ないと私は思う。
もちろん、人間は【自分の経験したこと】と似たような経験をした人に対しては、共感する。でも、それ以外に対しては冷淡な人も多い(それが悪いとは言わない)。
 
ただ、軽く指摘しておくと、この共感というのも問題で、共感しすぎて物事を客観的に見れなくなるという現象も起こりうる。だから、私は自分が経験したことに関しては、あえて冷淡な目で見て、バランスを保っている。