ハグ。

自分の顔から、やわらかな笑みがこぼれているのが分かる。
旗から見たら、私はこの男のことが好きなように見えるのだろうか? と私は思った。
それくらい、私はリラックスというか、にやけていただろうと思う。
 
しかしながら、私はこの男に惚れているわけではない。
 
なぜか?
それは、彼に触れたいとか、キスしたいとか思わないからである。
 
 
この男のどこが男前なのだろうか?
と、失礼ながら、この男の顔を眺めた。
 
むふ、スーツを着れば男前かもしれない。
 
「あなたに会いたいと言っていた女性がいたよ」
「カッコイイ!って言ってた」
 
彼の頬が一瞬で赤くなり、照れた顔を必死に隠そうとしている。
私は、それが可笑しくなり、ますます顔がにやけてくる。
 
 
「この男から、手紙があって・・・」
そう、共通の知人二人ほどに話の流れで言ったら、「え、そんなことをする人だったの?」と甚だ驚かれた。
 
確かに、そのようなことをするようには見えない。
気難しい男である。
 
手紙と言うか、ただの軽いメッセージなのだが、彼はよく私の机に置き手紙をする。
この男が私に心をひらいているのは分かっているが、なぜ自分なのか?と思う。
 
それは、彼がアメリカ人で、私は英語が下手くそで、まともに自分のことさえよく分からないのに、なぜこの男は、よく知りもしない英語が下手くそな女と会おうとするのか。しかも、なかなか心を開かなそうな神経質そうな人間であるのに。
 
それが不思議で、やっぱりフィーリングというのがあるのだなー
という結論に至った。
 
人と人とは理屈ではなく、フィーリングで相性が決まっているのではないか。
もちろん、その中には価値観という要素もあるけれども、フィーリングというのは価値観という要素も含んでいるような気がする。
 
 
どうやら、彼の論文が公に発表される可能性があると言う。
まったく驚かない。だって、成績はほぼオールA である(自慢してきたわけではなく、たまたま知っただけである)。
そして、彼のように細部にまで配慮し、日々コツコツと勉強し、研究をする人間の論文の完成度が低いはずがないのである。
 
「あなたは研究者に向いていると思うな。ポストがあるかどうかだけが問題だろうけれども、ポストがあれば、あなたは研究者になるのもいいかもしれないね」と言った。研究室で学生の質問に答えている彼の姿を眼に浮かべると、実にしっくりとくる。
 
本人もその選択肢は嫌ではなさそうである。
 
 
「君は東京にきても、僕に連絡をくれないからな」
「次は、東京で会おう」
 
それらに加えて、「立って」と言ってきた。
立ち上がったら、ハグをしてきた。
 
そうか、この人はアメリカ人だったということを思い出した。
私はハグをすることには慣れてはいたが、それで異性に勘違いをされて(相手はアメリカ人なのにもかかわらず)、相手を傷つけたような感じになったなぁと思い、一年ほど誰ともハグをしないようにしていた。
 
それだけに、どきどきというか、緊張というか、気恥ずかしさがあった。
 
昔は “Hey!” と言って、自ら腕をひろげていたが、最近はそういうノリがなくなってきた。
好きな人に「ハグしたいな」と言えればいいのにーとそのとき思った。
 
ん??
でも、メールで好きな人に “Give you a big hug!!” = ハグをあげる!と言ったら、無視されたんだった(笑)
 
ほんとうは、ハグとキスをあげたかったんだけどね。