【言葉の恐ろしさ】

【言葉の恐ろしさ】
 
美しい言葉を並べ立てる人間を見ると、私は疑ってしまう。
その美しい言葉が、自己を美しく見せるものであればなおさらである。
 
人間の卑怯な一面を見たことがない人間は、この美しい言葉に騙されることがある。純粋であれば、言葉をそのまま受け取ってしまう。
 
言葉の使い方を見ていれば、「自分がこんなにできる人間なんだ」と見せたい人間とか、いろいろといる(いやいや、世界は広いんですけど、と思うのだが)。自分の欠点を隠すために、言葉を駆使する人もいる。人間だから別にそれはそれでいいし、そもそも、私自身もいい格好をしたいときがある(なくそうと努力はしているが、感情のコントロールが難しいこともある)。いずれ自分がちっぽけな存在でしかないということが分かるだろうと思う。
 
言葉の使い方、声音、視線の置き方、目の表情、行動で、人間性というのは現れてくる。そして、それに気づく人間は気づくのである。だから、私は自分の言葉に誠実でいたい。隠したって、分かる人間にはバレているのだ。
 
別に、私は良い人間になれと言っているわけではない。人間、欠点や弱い部分があったっていい。それなら、それでいいじゃないかと思う。人間は不完全であり、それゆえに成長するからだ。いくら成長したって、いつまでも不完全だ。だから、それを含めて抱擁しようではないかーそう、私は思っている。
 
ただ、言葉で自分をあまりに美しく見せる人間は、言葉とその人間の実力との間に、格差がある可能性を想定しなければならない。これは、純粋な友達に警告するためにも言っておくが、元・養父という身近であった存在が、言葉で自己を繕い、家族を騙し続けてきた経験から言っている。だから、言葉の裏にある牙を見抜く力が、生きるために必要なのである。