カメラマンの洞察。

華やかな空間の中に織りなす哀しみを抱えた人々について書いたら、このことを思い出した。
昨年の10月ごろに書いたものである。
 
10代のとき、私は暇つぶしにカメラマンの助手をしていた。
 
「お前、苦労しただろう?」
会って1度めか2度めに、カメラマンに言われた言葉である。同情しているような暗い口調でもない。ただ、サラッと、軽く言った。彼に私のことは一切話してはいない。
 
「いや」
私は、カメラマンのひとみをチラと観察した後に、目を逸らした。表情は変えなかった。私の目はとても冷たかっただろうと思う。
 
このときの私の心の動きについては記述するつもりはない。ただ、このカメラマンはよく物事を観察し、洞察しているなぁと思った。
 
その後、このカメラマンと違う男性と3人でいたときである。この男性は当時29歳であったと思う。
「君、暗いよね」そう、男性が言った。
 
カメラマンが私の代わりに応えた。
「お前みたいなアホに彼女の苦しみは一生理解できないよ」
 
黙っていろ!とでも言うかのように手で「やめろ」というふうな仕草をした。
 
おかげで、私は何も答えずに済んでホッとした。この男は物事を単純に考える人間であった。
 
一方で、このカメラマンは、明るい人で、鋭いことを度々言う人であった。
一度だけ涙を見せてしまったことがあったが、それ以外ではあまり話すことはなかったと思う。でも、私の人間性を信じてくれていた人であった。
 
なんとなく思い出した。世の中、いろいろな人がいる。
このカメラマンの洞察力はどこからきたのだろうか? と思うことがある。
 
 
私は、あることをきっかけに、どこかで人生を諦めきってしまった。そもそも、人生に期待をしていないから、ある程度の環境にも耐えられるのだろうと思うし、失うものなど何もない、自分の命だって惜しくないから挑戦できるのだろうと思う。
 
でも、諦めているから何もしないわけではないのは、私の行動力が示している。
 
自分の人生を諦めているからこそ、自分が生きることで負の遺産を残さぬように、生きている間にまともなことをしたいと思い、行動する。それが社会貢献へと突き動かす原動力であるのかなぁと思った。