心を育てる。

心を育てる。
 
戦争は、戦争を経験した世代がいなくなった後に起こる。
という話を読んだことを思い出した。
 
つまり、戦争を経験した世代というのは、その悲惨さを知っているために、戦争が起こらぬように努力する。しかし、その世代がいなくなり、戦争の悲惨さを体験として知らぬがゆえに、ふたたび戦争をしてしまうのである。
 
私はこの世から戦争をなくすことはほとんど不可能のように思う。それは、努力を怠るという意味ではない。それを避けることが不可能だということを知りながら、戦争が起こる原因を見つめてゆき、それをなくすように努力をする。そうすることで被害を抑えることは可能であると思っている。
 
戦争というのは、我々が思っているよりもはるかに残酷なものであろう。個々人が生きるか死ぬかの状態なので、自分を守るために他者を見捨てなければならないということも起こってくる。そのときに人間は、他者に対してだけではなく、自分自身の残酷さをも見るのである。
 
 
戦争抑止のメカニズムを解き明かそうという学問があるが、私はそれとは別の観点から物事を眺めたい。
 
それは、人間の「共感力」「他者の心を感ずる力」である。それは、どうやって育てるのか? 子供に不幸な経験をさせるのか? 私の中で確かな答えは出ていない。論文も春学期に探したが、私は見つけることができなかった。
 
1つの可能性としてあるのが、「国語力」を上げることである。本を読むことである。そして、様々な気持ちや状況に触れ、自分の住んでいる世界の外側を眺める。
 
私は、大阪で国語塾に通っていた。そこで、たくさんの文章を読み、読解し、記述した。今も改善に改善を重ねて、私の頃とは変わっているようであるが、先生が「人の心を問う問題」を入れるようにしたとおっしゃっていた。それは、生徒の心を育てるためである。
 
この国語塾に関するレビューが高いのは驚くことではない。親御さんの感想であったのが「子どもが精神的に成長した」ということである。私は、ここに国語や教育の可能性を見出した。この心を育ててゆくことにより、高い精神力を持った人間が社会の一員となることによって社会が変わってゆく。その結果、戦争の抑止力にも成りうる可能性をも持っているのである。
 
 
人間の心を育てるもう一つの可能性は、経験を積むことである。何も自ら悲劇的な状況に飛び込む必要はない。公園に行って隣人と触れるだけでも十分心が成長する可能性はある。
 
ボランティアの意義というのは、経験を積めることである。エントリーシート奨学金を申し込むためのものではなく、自らの知らぬ世界を知るためである。そして、社会の抱えている問題を自分の目で見て、それらと向き合っている人間と触れることによって、学びを得ることに、ボランティアの意義があるのだ。