「経験の利点と欠点」

「経験の利点と欠点」
 
妹が、アルバイトの経験をもとに、社会の裏側について洞察を示していた。大人になったなぁと思うと同時に、経験というのは人の視点を変えていくのだな、ということを再認識した。
 
経験豊富の基準というのも人それぞれであるが、私は経験が豊富だねと言われる。それは年寄りだからということもあるが、私の環境が非常に特殊であったこと、そして、やはりいろいろな環境に身を置く機会が非常に多かったからだろうと思う。
 
ただ、私はそれだけに、「経験のみで語ることの怖さ」を知っている。つまり、自分が経験から導き出した1つの答えというのは、非常に大切なもののように見えてくる。しかしながら、実際には「自分の知らない視点」というのが存在している。つまり、自分の経験から答えを導き出すことは、自分の経験に固執する可能性を高める危険性がある。自分の考えに執着すると、今度は自分の知らない視点を見落とすことになりかねない。
 
私は、この危険性を非常に危惧しながら生きている人間である(もちろん、それを注意しながら生きていても視点の欠落というのは大いに有り得る)。
 
では、どうすれば、自分の経験に執着せず、他の視点の取りこぼしを防ぐのか? それは、多種多様の人間に意見を聞くことである。それは専門性があるものであれば、幅広く専門家に聞くことが必要であるが、素人のの意見というのも、非常に斬新な視点をくれることがある。とにかく、どの人間であっても話を聞くことは自分の視点の狭さから逃れる1つの方法である。
 
他の手法は、やはり書物を読むことである。書物というのは、人生の先輩の中でも知恵のある人物が文章を書いていることが多い。それが特に古典であればなおさらである。だから、彼らの視点というのは非常に深くてためになる視点を我々に与えてくれる。
 
だから、多くの他者から意見を聞き、書物を読むのである。
 
 
人間というのは、自分と似たような価値観を持った人と付き合う傾向にある。そして、その価値観を形成するのは主に家庭においてである。
 
家庭というのは、ある種の世界観で成り立っており、その家庭内の世界観「以外」の世界観および価値観というのは腐るほどに世の中に存在している。
 
つまり、1つの家庭内の真実や常識は、他の人にとっての真実や常識ではないことは、よくよく起こりうる。
 
世界観の相違というのは、会社だ大学が違うだけでも起こりうる。1つの共同体が共通して持つ世界観・価値観というものがあり、それは他の共同体からすると理解するのが難しいという現象が起こることもある。
 
たとえば、高級住宅街とスラム街では、その醸し出す雰囲気というのは非常に異なっており、人生観から考え方まで相違してくる。
 
だから、他者と付き合うにあたって、自分の知らない世界観や価値観を相手が持っている可能性を想定しながら付き合うのは非常に大事なことであると思う。
 
そして、自分がより広く深い視野を持つためには、あらゆる種類の人と接触し続けることが非常に役に立つと思う。その際に心がけるのは、決して「軽蔑心」を持ってはいけないということである。それは、相手に伝わる。
 
どの人間であっても、必ず美しい一面というものを持っているはずである(あくまで仮定であるが、それをくつがえせる人間に、私はまだ出会ったことがない)。相手の美しい一面を引き出せないのであれば、自分の相手に対する「敬意」が足りないからであろうかと思う。相手に敬意を持って接すれば、相手から何かしら学ぶ点を得られるだろうかと思う。(これも仮定でしかないが)
 
このような私の主張も、自らの経験に即したものなので、自分の経験に固執した意見かもしれないね(笑)でも、意見というのは、偏っていたとしても、主張しなければならないことがある。