怒鳴り散らす人を冷静に眺める。

家の人が怒りでブルブルと震えて涙目である。私を怒鳴り散らす。
私は、今回、機嫌を取らないと決めた。道化師を演じる選択肢も捨てた。私は、あの人にチラと目を配らせただけで外へ出ていった。
 
何故こんなに怒るのか?
それは、私と彼女があまりに違うために、苛立つのである。
 
そして、恐らくだが、本音として、ごはんを毎食キッチリ作るストレスがある。だから、私が昼食よりもはるか前に出てこないと怒鳴り散らす。これらの原因が分かっているから冷静な態度ができるのかもしれない。
 
手を抜けばいいだけの話で、私は自分でごはんを作れるし、放っておけば自分のストレスもないのだろうけれども、それができない。
 
私が思うに、そんなにごはんを作るのが嫌ならやらないという選択をすればいいのに、と思う。しかし、それを取らない。私が作ろうかと言えば拒否をする。だから、自らストレスを抱えているようなものである。
 
まぁでも、本人はそれができないのだから、放っておくより他はない。自分の信念に合わないと怒鳴り散らすのが定番である。
 
他にも私に苛立っているようである。それから様々な事柄に波及して、ガミガミと怒鳴り散らす。
 
こういうことがあるから、私は「道化師」を演じていたのだ。
相手の機嫌を窺い、相手の気に入るように振る舞う。相手に指摘されたらすぐに改善をする。
 
それで、相手の怒りを誘発しないように努力をしてきたのだが、それでは足りないのだろうかと思う。
 
あの人が怒鳴り散らすとき、私の学歴も罵倒される。
「勉強したって」と言われる。
 
『あの・・・・学歴とコレのどう関連性があるのですか?』と聞きたいが、ここで反論すると火に油を注ぐだけである。
 
素直な気持ちを話せば、「あなたはこんな子じゃない。もっと優しい子だ」と言われ、しまいには罵倒され続ける。
 
『あの・・・・・・私は聖人ですか? あなたの理想像はなんですか? そして、その理想像を私が演じることで、私は幸せになれるのですか?』
 
そう聞きたいが、私は様々な観察の結果、「対話不可」と判断した。
 
ああ、あの人からすれば、私は一生完璧にはなれないのだなぁ。
でも、どうせここは私の居場所ではない。あと一週間だ。そう思いながら家を出た。
 
でも、あの人を私は否定するつもりはない。これはあの人たちの生き方。生き方が違うだけ。だから、いくらぶつかり合っても否定はしない。
 
ただ、私たちは一生分かり合えないのだ。
 
分かり合えないと分かっているから、人は他者と適切な距離を模索する。
そして、私はもう二度とこの建物には住まない。でも、2ヶ月もここにいさせてくれてありがとう。そういう気持ちは大切にしなきゃね。
 
本当に幸いなことに、私は学生生活と仕事ができる身体を持っている。いつ病気になって働けるかは分からない。でも、家族といわれるものに頼らなくていいということが、私の心の救いである。
 
体調管理をしっかりして、しっかりと勉強し、働けるようにしよう。