才能職である芸術家の苦悩。

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才能職である芸術家って相当大変そう。才能に加えて努力が必要だし、命がけ。下積み中にも地道な活動が必要である。

この人はプロだと思う。つまり、この記事は下積み時代のことだろうかと思う。芸術大学卒の人。芸大は東大以上の倍率で、浪人も当たり前。才能が試される入試だから、対策も難しい。その芸大を卒業しても、なお続く下積み。

努力といっても、毎日絵を書けば芸術家になれるわけでもないだろう。理論を勉強して基礎を固めることは芸術活動に必要だろうけれども、それをやったから芸術家として成功できるわけではない。

アートに詳しくない私は、「アーティストが集まるNYとかパリ? に何で行く必要があるの? 誰も行かないところにこそ刺激とか、新たなアートがありそうだけど」とか、たぶん彼らからしたらトンチンカン?なことを思ったりする。怒られるかな?

でも、トップ・アーティストが集まるところに身をおいて戦うことが大切なのかもしれない。

さらにふるいにかけられる、みたいな感じかな? 芸大で厳しいふるいにかけられているのに、さらに選抜が続くのだから本当に本当に厳しい世界だ。

遠藤周作が小説で描いた鳴かず飛ばずの芸術家のことも頭に浮かぶ。アーティストになることを夢見てパリに出て、自分が才能があると信じながらも売れずに貧乏な生活を送っている人々がカフェでゴロゴロといる。

一方で、詩人として玄人には認められているけれども、大衆向けではないがために稼ぎが少ないという人もいる。その詩人は広告代理店に勤めていた人で、当然ながら会社員のときの収入は相当なものだったというから、お金と引き換えても表現したいものがあったのだろう。

それを見ていると、私は彼女たちのようにそんなリスクを取る勇気はないと思ってしまう。まだビジネスの方が失敗の原因を探りやすいし、対策が練りやすい。(ビジネスが簡単と言っているわけではなく、ビジネスにも相当の努力や不安と戦うだけの心の強さが必要です。ただ、芸術は遥かに才能によるところが大きいということ)