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食中毒の苦しみを淡々と記録してみる。

真夜中の話である。
マラッカの報告書的な日記を書いたあとに、激しい疲労と、微熱感と、胃の不快感を感じた。

「ああ、また私はやりすぎてしまったのだろうか」
つまり、疲労なのにもかかわらず、文章を書くというさらに莫大な体力を必要とする作業をしてしまって、動けない状態になってしまったということだ。

これは私にとっては結構深刻な問題で、勉強をしたり文章を書いたり思索をすることによる疲労というのは本当に半端なかったりする。

自分の体力のなさは昔から自覚していて、実はかなり対策をすでに実行していたりする。勉強をするために毎朝一時間ランニングをしたり、通勤を自転車に変えたり、本当にいろいろとした。私としてはずっと勉強していても体力の消耗がないカラダを作りたかった。

ところが、大学に入学してからはさらに疲労を感じやすくなり、保健室の先生にも本当にたくさん相談したものだった。

「あなたは交感神経がずっと活発なのね。」
脳が活発に動いている状態と、リラックスした状態の2つの状態が交互にくるのが望ましいけれども、私の場合は、ひたすら興奮状態(=交感神経が活発)だから、それは非常によくないし、私はもっと休むことを覚えなければならないということであった。



昨日のことに話を戻すと、とても深い疲労を感じていたのは明らかであったのに、感じたものを新鮮な状態で文章に残すことの方を優先して、疲労を無視して書き続けた。そして、それを出してしまわないとゆっくり眠ることもできない私でもあった。

まぁ本当はもっと書き記すことはあったのだけれど、話の核心部だけ書いて、シャワーを浴びた。

お酒を飲んでいたので、お湯ではなく水のシャワーを浴びた。それで、寒気が増す。

ふらふらになりながらドライヤーをかけ、ようやくベッドに入る。胃のムカムカを感じたので、ビニール袋を枕元に置き、さらに体調不良で眠れなかったので、睡眠導入薬を飲んで、無理やり寝る。

それでも朝の5時頃に目が覚めてしまった。原因はやはり体調不良であった。自分の体温に疎い私だけれども、これは間違いなく熱があると思った。不快感で眠れなかったので、これをどう対処するかを考えながらも、絶望的な気持ちになった。

「こんなに体調が悪いのであれば、意識を失った方がマシだ」「コロッと死んでしまった方が今よりも楽かもしれない」という何ともヘンテコな方向に考えが及んだ。

そうとは言っても、他の深刻な病気と比べればどうということはない症状なのだろうが、これくらいで悲しい気持ちになる自分を見ていると、やっぱりいろいろと考えてしまう。

「健康っていかに大事か」とか
「自分の気持ちがいかに肉体に影響されているか」とか。

体調で気持ちがコロコロと変わるのであれば、自分の今の気持ちを信じることもできないとか。まぁ余計なことを考えるのである。でも、逆にそういう思索に及ぶ方が苦しみに対抗できるのではないかと、プラス思考も若干入ってきた。

寒くてたまらないし、吐きたくてたまらないので、今すぐにでも病院に行きたくなった。でも、病院の費用についてもよくわからない。

そこで、保険証書を出して、電話をかけることにした。だいぶテキトーに物事を片づける私でも、こういう準備はしっかりとしている私だ。

ふらふらになりながら、電話をかける。喋りたくないが、仕方がないので喋る。

医療費だけではなく、交通費(タクシー代)も保険会社が負担してくれるということで、ずいぶんと安心し、タクシーが使えるなら、今から病院に行こうかという考えになった。

でも、電話をかけ終わったあとには、病院の場所を調べる体力が失われていた。保険会社が代わりに予約してくれるようでもあったが、タクシーに乗ることも、そのときの私には非常に大変な仕事であった。

それで、私はひとまず熱冷まし用の常備薬を飲むことにした。病は気からというように、私はこれで安心して眠ってしまった。

何度か起きたけれど、症状は軽くなっていたようであった。睡眠のすごさを実感するも、胃のムカムカが抜けない。やっぱり寒いし、身体は痛いし、ふらふらとする。

病院に行く体力を吸い上げることも大変であったが、寝ていていつ良くなるか分からない状態を我慢するよりは、さっさと病院に行って楽になってしまいたいと思った。

そこで、かなりゆっくりめのスピードで、病院の情報を調べ、タクシーを手配し、必要な荷物を準備するという作業をどうにか終えた。

さっさと胃の中にあるものを出してしまいたいとも思ったが、出てきてくれないし、なによりそれを出す勇気もない自分である。

仕方がないので、胃の不快感を抱きながら、一歩一歩と階段を降りてゆく。もちろん、念のためにビニール袋を持った。これ、車の中で吐いてしまったら最悪だなぁと思うけれども、車にたどり着くことだけでも精一杯なので、その考えは頭の片隅に追いやられてしまった。

そこで、ついにチャンスがやってきた。寮から出てすぐにいよいよ食物が身体の中から出てきてくれようとしたのだ。でも、お手洗いには間に合わない可能性が非常に高かったそこで、持ち合わせのビニール袋がそれらを受け止めてくれて、無事に解決した。

これでタクシーの人には迷惑をかけずに済むという安心感に支えられて、車へと歩いていった。

病院は思っていたよりも遠くて、なかなかたどり着かない。痛む肉体と寒気で、ふたたび忍耐を要求された。

間違った場所にきてしまったタクシーの運転手が、いろいろと説明をするけれども、そういう話ができる状態ではなかったので、OK,OK、と言いまくって、とにかくその場をやり過ごした。

話すことが苦痛である。英語なので、身体から言葉が出てこない。単語も忘れてしまう。

保険会社と契約している病院ということもあり、医師が日本語を話せる人だった。英語でも構わなかったけれど、日本語だったので、私は妙に安心した。でも、なにより言葉を話したくないので、単語で答える。

私の会話というのは非常にテキトーで、そして、文章に比べてやる気がないなぁと、改めて感じた。

医師は胃炎、食中毒を疑った。結果、食中毒だと診断したらしい。

「食中毒はここではよくあることだからね」と。

そりゃそうだろう。衛生面を見ていると、日本とは天と地の差である。それは厨房を見なくても、トイレや人々の普段の生活を見ていればよく分かる。

そうは言っても、環境に適応することの方が私にとっては重要であり簡単でもあるので、気にはしないのである。これは自分の長所の1つであるとさえ思う。

私は食に対するこだわりが非常に強いが、そういうことよりも環境に適応することの方が重要で簡単なのである。日本国内であれば一晩寝れば環境に適応できる。マレーシアは水のシャワーと汚いトイレに1週間くらいは時間を要したが、今はすっかり慣れたので、次からはもっと適応までにかかる時間を短縮できるだろうと自負している。

点滴を打った。水もあまり摂取できない私にとって、点滴は非常にありがたかった。

ただ、やはり日本の看護師の丁寧さに慣れている私は、最初はマレーシアの看護師の注射が怖かったが、さほど痛くはないということを知り、あまり怯えなくなった。そうはいっても、やはり日本人の看護師の丁寧さには及ばず、しょっちゅう点滴の袋に何か不思議なことをしているので、怖くなったことは事実だけれども、そういうことを心配してもどうにもならない。

点滴のときには当然ながら身体が少々不自由になり、寝苦しさに今度は悩まされかけた。でも、これも気にしないと思い、昨夜と同じく静かにしていたら、いつの間にか寝てしまっていた。

目が覚めたときには非常に体調が良くなっていて、すっきりとした気持ちになった。点滴に薬を混ぜてもらったからだった。

まるで通りすがりのように医師が点滴室にやってきた。食中毒は出してしまえばすぐに治るけど、良くならなかったら、必ず来てねということであった。

胃に優しいものを食べるようにと言われたが、そんなものがマレーシアに果たしてあるのかと私は不思議に思った。大学のカフェテリアにはそのようなものがあると認識していないので、ショッピング・モールに行くことにした。

タクシーの運転手は、私を病院に迎えたということで、細やかな気遣いをしてくれた。寒くないかとか。優しいなと思った。

中華料理だったらお粥があると思ったので、中華料理店に入った。これが非常に愛想のない人だけれども、こちらが嫌いなわけではないということは分かっていて、こういう状況はマレーシアではよく見るので、動じる必要性もない。自分の要求をひたすらに伝えて、お粥と甘くないお茶を手に入れた。マレーシアでは飲み物に砂糖を入れるからね。砂糖抜きのジャスミン茶をくれた。中国ではジャスミン茶に砂糖を入れるのだろうかと不思議に思ったけれども、中華系マレーシア人は中華系マレーシア人としてのアイデンティティを持っていて、自己の文化とマレーシアの文化を併せ持っているので、砂糖を入れた方が自然な形なのだろう。なによりここはマレーシアだし。と一人で納得した。

ふらふらとはするけれども、体調はとても良くなり、テラスでのマレーシアの心地よい風が心地よくって、気分が良くなった。未来に幸せが待っているような気持ちさえするけれども、それはこの気候のお陰でしかないという現実的な思考をも併せ持っていた。

幸せがウンタラカンタラということを文字にしてしまうと、非常に微妙な気分になった。それと同時に、幸せは気分次第だという考えにも及び、いつでも幸せでいられるような気がした。

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