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日本の学校に対する苛立ち。

私は、下記の日記を苛立ちとともに書いたために、PCの中に静かに眠らせていた。日本人に叩かれるかもしれないという恐怖もあったからだろうかと思う。今でも怖い。

でも、フランス人かイタリア人のファッションデザイナーの発言を読んで、勇気が出た。

そのデザイナーが、日本の制服制度を見て「まずは制服制度を廃止して、ジャージで校外を歩かせるのを止めなさい。あれではファションの感覚が身につくはずがありません。」と言ったという。

ほら、ほら、ほら?
言ったでしょ? あんなに規則で縛りつけると独創性がなくなるって。茶髪もピアスもオシャレじゃないの。

ということで、感情的にブチ切れながら書いた日記を下記に引用する。

目立つと叩かれる日本。みんなと同じ行動をしなきゃ叩かれる日本。
学校では服装、髪型まで決まりがあり、それに従わないと、呼び出されて説教。なんで、スカートを短くしてはいけないんですかと聞けば、反抗したと言って、ひたすら叱られる。正当な理由を教えてくれず、ただひたすら言うことを聞けと言われるばかり。

なぜ茶髪にそれほどこだわるのか分からないと親に言われたけれども、茶髪にこだわっていたのではなくて、ただひたすら型にはめようとしてくるのに反発していただけ。私という人間ではなくて、学校の先生が気に入る人間になって、大人しくて何でも言うことを聞けば先生たちは満足したでしょう。何一つ生きる上で大切なこととか、人間って何かとか、そういうことは見なくって、ひたすら「ルールを守れ」と言う。オシャレをしたら不良と呼ばれる。ファッション・トレンドは変わっていっていて、昭和の時代のファッションとは違う。だから、茶髪は不良ではなくてオシャレなのだ。そういうセンスを磨くことも勉強じゃないの? って私は思っていた。すべてみんなと同じに行動して、独創性なんて磨かれないでしょ? って思っていたけれど、誰一人として対等に対話してくれる大人はいなかった。この絶望感ゆえに私が高校から逃げ出したのも分かるでしょう。

その場にふさわしい格好をするという意図も分からなくはないけどねぇ・・・。

中二病と言われようが、私は本当に学校の空気が大嫌いだった。だから、そういうところに染まるのであれば、高校をやめてバカにされて苦労してきた方がよっぽどマシだった。まぁそれで苦労したけど。だから、大学という場所も最初は非常に警戒していて、押しつけがないかどうかを事前に公開授業で確認したくらいだ。

教師たちには個性という言語を知らないのか、言うことを聞く人間を大量生産したかったのではないかと過激な発言をしたくなるくらいに、ただひたすらに型にはまようとしてきた。

私の義務教育時代は本当に「死にながら生きていた」としか形容しようがない。

でも、イスラム教は日本の学校の校則のようにに厳しい規則が並んでいるし、国によっては真っ黒な衣装しか着られないところもあるので、そう考えると、日本の規律は緩い方なのかもしれないし、文化の1つだという考え方もできる。でも、やっぱり私は日本の学校に馴染めた経験が1つとしてない。ただ、これは性格的なものであって、日本の学校に馴染める人がいるのも、また事実である。