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恥ずかしいけど、どうでもいい話を夜中にひっそりと上げてみる。

じゃあ、大学も留学先も、自分で好きで選んだというよりは、現実に応じて人生の選択をしてきたんだ?
と、相手の人に今日言われた。

「鋭い!」と思った。
私のことについて、いろいろと質問をされる。別に隠すことでもないから答えていたら、そのように言われて、めっちゃ鋭い洞察をする人だなぁと思った。

たくさん妥協してきた。
嫌なことがたくさんあったからこそ、嫌なことで潰されないように与えられた環境を精一杯生きるという選択肢を採って、プラス・マイナス・ゼロにしようって思った。

私は、いちおう留学先は第一志望に通っている。でも、これは自分の置かれた経済的状況を考慮してのことであり、妥協の産物であった。

留学奨学金を得られなければ、私は留学に行けず、卒業もできないと思ったから、奨学金を獲得するために、メチャクチャ準備をした。

詰めが甘いとはいえ、とことん追い込んだのに、計画はいいって言われたのに、その結果がダメだったので、留学費用が一番安くて、なおかつ社会人になったときに通用する留学先を選んだ。その結果、経済的な結びつきの強い東南アジアという選択肢になり、その中で費用とレベルの面を勘案して、マレーシアのマラヤ大学という選択をした。

大学に関しては、減免制度という学費援助があり、なおかつ社会人として働きながら受験対策がしやすくて、就職率が高いということで比較的(あくまで比較的)卒業後のリスクも低い国際教養大学を選んだ。人生戦略として、エンジニアになるかという考えもあったが、今後の社会情勢を見たときに、先に国際的に戦える力を身につけておいた方が戦略的には効果的だと判断し、エンジニアになる道はその後でも構わないと判断した。

私立は学費が高くて通えないから、まず選択肢にない。国立は受験科目が5科目8教科ある。私は自分の勉強生活の中で、フルタイムで仕事をしながら勉強をできる科目は2科目までだと、あるときに判断した。やろうと思えば3科目以上できる可能性はあったけれども、ある程度のレベルにまで持ち上げるためには中途半端な勉強方法ではダメで、勉強の完成度を高めるのであれば、2科目が限界だった。その結果、英語1科目での受験となった。ただ入学後の大学での勉強のことを考えて、3科目ほどは並行して勉強していたこともあり、合格まで4年ほど要した。でも、英語1科目のみの実力で入学するよりは、まだ4年かけた方がマシであると、私は腹をくくってはいた。本当は最低5科目の学力を上げておきたかったが、先生に「早く合格するためにも、これ以上、他の科目には手をつけない方がいい」と結構厳しく制された。

そんなことを思い出した(笑)
私は高校に行っておらず、なおかつ日本を出たのも今回がはじめてなので、結構な割合で私の勉強手法を聞いてくる。

医者の診察中にも質問攻めにあったので、学校という場に身を置かずにどうやって勉強をしたのか、何でクソ倍率が高い英語の試験に、英語がまったくできない私が受かるのかということはやっぱり不思議ならしい。

まぁあれは戦略である。英語の試験に受かるような勉強法をした。試験がエッセイだったので、エッセイで使える英語だけに触れて、それで添削を受けて改善をしていった。それをひたすら受かるまで繰り返した。

現代というのは本当に便利で、自分が成長できる機会が本当によく整備されていて、良質な参考書がゴロゴロ世間に出ているので、それを6周くらい読めば、4周目で意味が分からなくても最後には何となく意味が分かってくる。

ただ、10周しても間違うってこともあって、これは私の頭の使い方が悪い。しかも、古典に関しては、いくら勉強しても成績が上がらず、マジメに答えて0点で、国語の先生に大笑いされたりもしたので、私の頭の限界も確かにある。

あと、周りの勉強のできる人にいっぱいアドバイスをもらって、戦略を練ってきたのと、自分が信じることのできる先生との信頼関係を深めて、先生の指摘を真っ向から受け止めてきたことかな?

でも、4年も受験勉強をするという選択ができたのは、私が社会人として自分で生計を立てていて、自分の生活、選択について自分に選択権があったからでもある。

もちろん、収入や時間面ではかなりの制限があった。個別指導をつけるにも金がいるし、予備校に行く時間も金もなかったので、参考書にかかる費用と、あとは自分の努力=時間を使うという選択を採るしか道はなかったのである。

「4年も受験勉強をし、6回も受験したとなると、相当得るものも多かったでしょう」と、相手の人に言われた。

やっぱり、この人、鋭いぞ。うぐぐ。すげー。すげー。こういう深くて鋭いコメントができる人って、本当に頭が下がる。

「はは、忍耐力は相当ついたでしょうね」と、私は苦笑いをした。