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中学のときに、日本有数のトップ校から転校してきた男子がいた。

家庭環境の重要性。

 

中学のときに、日本有数のトップ校から転校してきた男子がいた。私の行っていた中学は地方自治体管轄の普通の公立中学である。

 

当然ながら、その男子は公立中学ではトップである。

 

そのときに私は思った。

「この人がトップなのは、この人の頭の質のみが理由なのであろうか? 家庭環境および彼の行っていた有名中学の教育になんらかの違いがあるのではないだろうか?」と考えた。

 

そのすべての要因があるだろうが、一番の基盤となっているのはやはり家庭教育だろうと推測した。

 

その男子は医師の息子であった。医師の子息というと、だいたいある程度のレベルの学校へ行き、ある程度の職業へ就く。

 

ただ子どもが親とまったく違う職種に就いたり、親以上の仕事を成し遂げることは大いに有り得るし、その逆も有り得ることは指摘しておかなくてはならない。

 

子どもの学力が優れるのは、家庭環境の影響が非常に大きいだろう、という過程を述べるにあたって、いくつかの興味深い事例がある。

 

ある有名校の子どもは、同年代では知らない単語を使っていたという。その子どもの親は知的職業に就いていた。言葉というのは、造語ではない限り、知っていないと出て来ないことは明らかである。そこで、次のことが想定される。子どもがその言葉を「家庭内の会話」の中で聞いていたということ。あるいは、子どもが書物でその言葉を知ったということ、そして、その書物は家族の本棚か、あるいは家族の知的作業の中で知ったのではないか、ということである。家族が知的作業をしていたら、他の家族もその作業を見聞きし、それが長年積み重なると多大な影響を受けることになる。

 

私の中学のクラスメートにとてもよく勉強をする人がいた。本当に真面目で確かに成績もある程度はあった。しかし、それでもトップ10くらいであり、私は不思議に思った。どうして彼は誰よりも努力しているのに、と。

 

彼のIQについての指摘もしやすいが、それだけではなく、学校の教員の教え方や家庭環境にも影響はされているだろうかと思う。

 

第一に、これは世間体から、多くの人間が指摘したくても声高らかに指摘できないことであるが、公立学校の教員は、学力的に中流階級であると指摘する人がいる(もちろん、例外もある)。だから、中くらいの学力の人から教わっても生徒はなかなか学力を伸ばせないという説も有り得る。事実、有名私学には有能な教師が集まるもので、その影響は計り知れない。

 

第二に、学力というのは、学校で学んでいることだけではなく、日々見聞きするものからも影響を受けている。子どもは、家庭で大部分の時間を過ごす。以下に興味深い事例を挙げよう。

 

大学のクラスメートに、とても優秀な学生がいた(東大志望であった)。その人は他のクラスメートでは知りもしないような法律の知識があり、知見も他者よりもずば抜けていた。話を聞けば、親は中央官僚だそうだ。ああ、やはりなと私は思った。中央官僚というのは、法律の知識がいるトップエリートなのだ。だから、親の会話からこのような知見が出てきているのではなかろうか、と私は推測している。

 

家庭内の会話というのが学力に結びつく可能性は、私を教えた国語の先生の言葉で、いよいよ確信を持てるものとなった。

 

「家で会話をする人ほど、国語の記述力が高い」と先生が指摘したのだ。つまり、逆を言えば、家庭内の会話が少ない人は国語の記述力が低いということだ。家庭内の会話を通して、私たちは言語力を磨いているのだ。

 

それだけに家庭環境が子どもの学力や将来に及ぼす影響は計り知れない。

 

私達の物の考え方や、物事に対する反応の仕方というのは、日々私達が接するものの影響を長年受けて決定づけられる。

 

たとえば、私は実家が自営業だったので、ものを売るにはどうするか、という戦略的な話をずっとしていたため、私は少なからずそのような視点を持っている。これは家庭内の会話が子どものモノの見方に影響を与えるいい事例である。

 

ところが、私は家庭の所属することが自己の価値観を決定づけることであり、価値観は人生をも決定するということに気づき、家庭が持っている価値観から出ていくことを決意した。「違う世界を見てみたい」と思い、家庭では決して教わらないことを書物や他者から学んだ。

 

つまり、子どもが家族とはまったく異なる仕事をする場合は、家庭以外の影響を受ける環境にいたということが言える。

 

ここで思索が止まったので、結論に入る。

この考察は非常に重要である。なぜなら、これが事実だとすれば、家庭内教育をいま一度見直すことにより、人々の人生および社会に変化をもたらすことが可能であるからだ。

 

もちろん、家庭内への介入というのは難しく、何が良くて何が正しいかという基準は作れない。しかしながら、家族でもいいし、子ども本人でもいいが、これを自覚することにより、人生を大きく変える可能性が出てくると言える。