中学のときに、日本有数のトップ校から転校してきた男子がいた。

家庭環境の重要性。

 

中学のときに、日本有数のトップ校から転校してきた男子がいた。私の行っていた中学は地方自治体管轄の普通の公立中学である。

 

当然ながら、その男子は公立中学ではトップである。

 

そのときに私は思った。

「この人がトップなのは、この人の頭の質のみが理由なのであろうか? 家庭環境および彼の行っていた有名中学の教育になんらかの違いがあるのではないだろうか?」と考えた。

 

そのすべての要因があるだろうが、一番の基盤となっているのはやはり家庭教育だろうと推測した。

 

その男子は医師の息子であった。医師の子息というと、だいたいある程度のレベルの学校へ行き、ある程度の職業へ就く。

 

ただ子どもが親とまったく違う職種に就いたり、親以上の仕事を成し遂げることは大いに有り得るし、その逆も有り得ることは指摘しておかなくてはならない。

 

子どもの学力が優れるのは、家庭環境の影響が非常に大きいだろう、という過程を述べるにあたって、いくつかの興味深い事例がある。

 

ある有名校の子どもは、同年代では知らない単語を使っていたという。その子どもの親は知的職業に就いていた。言葉というのは、造語ではない限り、知っていないと出て来ないことは明らかである。そこで、次のことが想定される。子どもがその言葉を「家庭内の会話」の中で聞いていたということ。あるいは、子どもが書物でその言葉を知ったということ、そして、その書物は家族の本棚か、あるいは家族の知的作業の中で知ったのではないか、ということである。家族が知的作業をしていたら、他の家族もその作業を見聞きし、それが長年積み重なると多大な影響を受けることになる。

 

私の中学のクラスメートにとてもよく勉強をする人がいた。本当に真面目で確かに成績もある程度はあった。しかし、それでもトップ10くらいであり、私は不思議に思った。どうして彼は誰よりも努力しているのに、と。

 

彼のIQについての指摘もしやすいが、それだけではなく、学校の教員の教え方や家庭環境にも影響はされているだろうかと思う。

 

第一に、これは世間体から、多くの人間が指摘したくても声高らかに指摘できないことであるが、公立学校の教員は、学力的に中流階級であると指摘する人がいる(もちろん、例外もある)。だから、中くらいの学力の人から教わっても生徒はなかなか学力を伸ばせないという説も有り得る。事実、有名私学には有能な教師が集まるもので、その影響は計り知れない。

 

第二に、学力というのは、学校で学んでいることだけではなく、日々見聞きするものからも影響を受けている。子どもは、家庭で大部分の時間を過ごす。以下に興味深い事例を挙げよう。

 

大学のクラスメートに、とても優秀な学生がいた(東大志望であった)。その人は他のクラスメートでは知りもしないような法律の知識があり、知見も他者よりもずば抜けていた。話を聞けば、親は中央官僚だそうだ。ああ、やはりなと私は思った。中央官僚というのは、法律の知識がいるトップエリートなのだ。だから、親の会話からこのような知見が出てきているのではなかろうか、と私は推測している。

 

家庭内の会話というのが学力に結びつく可能性は、私を教えた国語の先生の言葉で、いよいよ確信を持てるものとなった。

 

「家で会話をする人ほど、国語の記述力が高い」と先生が指摘したのだ。つまり、逆を言えば、家庭内の会話が少ない人は国語の記述力が低いということだ。家庭内の会話を通して、私たちは言語力を磨いているのだ。

 

それだけに家庭環境が子どもの学力や将来に及ぼす影響は計り知れない。

 

私達の物の考え方や、物事に対する反応の仕方というのは、日々私達が接するものの影響を長年受けて決定づけられる。

 

たとえば、私は実家が自営業だったので、ものを売るにはどうするか、という戦略的な話をずっとしていたため、私は少なからずそのような視点を持っている。これは家庭内の会話が子どものモノの見方に影響を与えるいい事例である。

 

ところが、私は家庭の所属することが自己の価値観を決定づけることであり、価値観は人生をも決定するということに気づき、家庭が持っている価値観から出ていくことを決意した。「違う世界を見てみたい」と思い、家庭では決して教わらないことを書物や他者から学んだ。

 

つまり、子どもが家族とはまったく異なる仕事をする場合は、家庭以外の影響を受ける環境にいたということが言える。

 

ここで思索が止まったので、結論に入る。

この考察は非常に重要である。なぜなら、これが事実だとすれば、家庭内教育をいま一度見直すことにより、人々の人生および社会に変化をもたらすことが可能であるからだ。

 

もちろん、家庭内への介入というのは難しく、何が良くて何が正しいかという基準は作れない。しかしながら、家族でもいいし、子ども本人でもいいが、これを自覚することにより、人生を大きく変える可能性が出てくると言える。

美女と野獣のベルを擬似体験した件。

美女と野獣のベルを擬似体験した件。
 
でも、物語には、前置きというのがある。一見つまらなそうな前置きがあるからこそ、最高のシーンが映える。
 
さて、一般庶民のベルのように、私も一般庶民のごとくマクドナルドの宅配を注文した。二度も宅配が遅れたことから “on time(時間通り)” でお願いします。というメッセージ付きで宅配をお願いした。
 
それでも二時間待ちのようである。私はゴロゴロとして待っていた。そして、途中で携帯電話を無音にしていたことに気づき、マクドナルドからの電話を逃さぬように、携帯電話を手に取った。そうすると同時に着信が入った。
 
「もう着いてるんですけど〜」
と、高いトーンで電話先の男が言う。
 
『あっ、これは・・・もしや、放置プレイをしてしまった??』
と思い、焦って寮の外に出た。
 
ちょっとふくれた顔の男性がバイクでそこにいた。
 
“I’m so sorry! Are you waiting?” (ごめんなさい、待ちましたか?)
相手は何も言わないけれども、明らかに不都合なことがあったような雰囲気なので、私は謝罪した。
 
でも、日本でよく見る超ブチ切れた感じではなく、ちょっとふくれっ面で “もうっ、あなたったたら、何をやってんの?” というようなちょっと甘い感じの怒った顔(分かりますかね?)。
 
そのふくれっ面を保ちながらも、怒鳴ることはなく、会計処理をして品物をくれた。今までの宅配物よりも温かかった。『ああ、いつも遅れるから、今回は急いできてくれたんだな(そのくせ、自分は・・・・苦笑)』と気づくと、ますます申し訳なく思った。
 
“I’m so sorry! Are you waiting?”
と、私はふたたび言った。
 
彼はすべてを指を広げて、声を出さずにこう言った。
“10 minutes!”
 
ただ、これがマレーシアという不思議な国の効果(?)なのか(?)
『なんだ、10分か。日本の1分遅れみたいなもんだな』と思うと、ちょっと気分が楽になった。
 
でも、逆にマレーシアの時間感覚はそれくらい日本とズレているので、彼の言う10分は、実は20分かもしれない、という発想にも結びついていった。
 
だから、とにかく謝った。外国で無駄に謝罪しすぎない方がいいということは分かっているけれども、猿と学生しかいないこの場所で待たせるのはあまりに酷だと思ったからだ。
 
そして、そこに偶然やってきた日本人男性と挨拶をして、私は4階へと上がっていった。
 
と・こ・ろ・が!
気がつくと、茶色い物体が行く道を遮っている。
 
「うわっ!猿や!」
気づいた頃にはもう遅かった。
 
右も左も前も後ろも「猿」である。
 
「きゃーーーーーーーーーーーーー!」
私は大声で叫んだ。まるで、狼に囲まれた美女のような気分である。
 
「きゃーー、きゃーーーーーーーーーーーーー!」
とにかく叫んだ。叫ぶしかない。動けないのだ。
 
だって、右も左も前も後ろも「猿」なのだから。
 
『猿は、私の顔を引っ掻くのだろうか?』
『もし引っ掻かれたら、美女ではないとはいえ、傷痕が残る』
 
私は、温かいマクドナルドを両腕で抱えて、食べ物だけではなく、自分自身をも守るような姿勢をした。
 
そして、猿をチラ見した。
 
『あなたは、やっぱり私を襲うの?』
そう、探るようにお猿さんを見つめた。
 
『ボリッ、ボリッ』
猿は、インスタントラーメンの乾いた麺を持って、ボリボリ食っている。
 
目を覗くと、『マクドの袋を奪ってやる』という強い意志までは感じられない。ボリボリ食いながら、こちらを眺めている感じである。
 
今度は後ろの猿を眺めた。
『食べ物が欲しい猿は、やっぱり凶暴な目をしているのだろうか?』私は、猿の目の中に凶暴性があるかどうかを確認したが、それは感じ取れなかった。こちらからブツを奪えるかどうかを単に探っている様子である。
 
『機会があれば奪ってやるか』というような感じである。
とはいえ、猿がどんどん周りにやってくる。
 
10匹くらいは軽くいただろうか。
 
知りもしないヤツらに囲まれて狙われて、それと戦えるほど私はキン肉ウーマンではないし、いくら人間にフルボッコに遭ったとはいえ、猿のフルボッコに耐えられるほど強靭な心を持ち合わせている人間ではない。
 
私は、叫び続けるしかなかった。
 
隣の棟には、先ほど挨拶をした日本人男性がいた。
「ちょっと待ってて!」
 
彼が映画「美女と野獣」でベルを助ける野獣のようにキラキラと見えた。でも、私がエマ・ワトソンとは似ても似つかないように、彼は野獣のような風貌ではないことは言っておかなくてはならない。
 
とは言っても、双方の棟には鍵がかかっていることも私はよく分かっていた。
『どうしよう・・・』
 
とにかく叫び声しか出て来ない。
『こんなに大げさに叫び声を上げ続けて、周りは何事かとさぞ驚くことだろう。何事かと来てみたら、ただ猿に囲まれているだけではないかと思うかもしれない』
 
そんなことを考える冷静さとは裏腹に、叫び続けるしかなかった。
 
そうしたら、男性の棟から、たくさんの男性が顔を出してきた。私はちょっとだけ安心した。
 
彼らは女性寮の中に入れないことはよく分かっているため、そこから動かずに猿を威嚇し始めた。彼らは『猿の扱い方法』をよく分かっているのだ。
 
隣の棟から大声でアドバイスをくれるけれども、混乱して何を言われているか分からない。とにかく、どこかへ逃げなければと思った。
 
何を言われたか覚えていないけれども、「大丈夫だから」というようなことを言われたような気がする。とにかく一歩踏み出す勇気をくれる言葉を言われた気がする。
 
そこで、私は思い切って、自分の部屋へと叫びながら逃げていった。
 
ダブルチーズバーガー・セットは無事に守り抜いた。
 
ありがとう。
果敢な野獣たち。

英国では” シェイクスピア作品教育は1988年以来義務化されている”

英国では” シェイクスピア作品教育は1988年以来義務化されている” という。

 

“英文学的視点 から、シェイクスピアは英国の優れた作家で、義務化 されて教えられるべきであるという主張がある。他方、 中等教育という視点からは、年齢によっては難解であるとの意見がある。”

 

日本の国語教育もつまらないと感じる人がいるように、英国でも授業で読まされてシェイクスピアが嫌いになる人がいるようである。

 

文学作品というのは、人生経験などに支えられて理解していく部分もある。頭だけでは分からないこともある。もちろん、分からないながらに読んで頭に残しておくことで、後の人生で「ああ、シェイクスピアがあんなことを言っていたな」とセリフを思い出すことにより、人生の対処方法に幅が出てくることだって有り得る(これは人生にとって思っているより役に立つのである)。

 

それに、やはり世界的に長年読まれ続けてきた作品というのは、その国の誇りであり、文化の一部でもある。世界で有名な芸術作品を持っている国および民族というのは、そこまでないのではないかと思う。だからこそ、持っている人はその宝を大切にした方がいい。私は英国の演劇を観たことがないけれども、シェイクスピアの台本があるがゆえに演劇も洗練されているはずで、そうだとすれば、芸術的なセンスが英国文化に染み付いているということだ。そして、その洗練された文化の影響というのは、やはり外の人間よりも中の人間の方が影響を受けやすい。だから、優れた文化を持っているのであれば、それの影響を受ければ、自分のセンスも磨かれるということになる。

 

こんなことを思うのは、文化圏によっては酷い演技のドラマがあるからだ。まぁよくもこんな酷い演技がプロとして放送されるもんだと思ったこともある(たまたまの可能性もなくはないが)。一方で、米国のドラマの俳優の演技はやっぱり上手いと思う。これは、やはりそのベースとなるものが文化として引き継がれているからだろうと思う。私はこのときに、文化圏内で長年引き継がれているものがいかに大切かということを感じたのだ。

 

教育の一環として演劇を観せるのもいいけれども、完成度の低いものを最初に観てしまうと、それが嫌いになってしまったりもするのではないかと思ったりもする。私も嫌々ながら観ていた。それでも一級品に出会うまでに様々な芸術作品を観たが、なかなか完成度の高いものに出会える機会というのはない。というか、それくらいのスター俳優の演劇は高額で、しかも飛ぶように売れてしまう。かといって、魂の籠もった演技をそう何度もやったら俳優が壊れてしまう。あるいは、中途半端な完成度で観客のもとに届けられることだってあるので、最高のものを観るのは結構難しいなと感じたことがある。でも、私の演劇の選び方が悪い可能性もあるので、今後、見極められる目を磨いていきたい。

 

http://teapot.lib.ocha.ac.jp/ocha/bitstream/10083/3409/1/P85-89.pdf

 

「日本人って英語できたの?(笑)」

日本がマレーシアを占領していたとき、日本政府が通貨を発行していたのだけれど、それが何故か英語なんだよね(笑) その通貨を見たマレー人がこう言った。
 
「日本人って英語できたの?(笑)」
それくらいに日本人が英語ができないのはマレーシアでも有名な話。でも、新渡戸稲造は英語で本を出しているし、夏目漱石は英国に留学しているし、エリートは昔から英語ができたんだろうという認識を持っていたので、こう答えた。
 
「エリートだけは昔から英語ができたから、通貨を発行できたのだろう」って答えた(笑) まぁそうじゃないと外国に大使館置けないから当たり前か…。国によって使用言語は違うだろうけれども、日本のトップ・エリートは昔から外国の情報はそこそこ持っていたという認識がある。外国の情報を得るのは、外国語ができないといけないから、語学もできたのだろうと思う。
 
実際、使っていないからスルスル英語が出てこないだけの話で、大学入試の英語の成績がそこそこ求められる大学に入った人は英語はできると思うんだよね。
 
あと、やっぱ日本語話者の英語習得が難しいのは、日本語の音の種類が英語よりもかなり少ないことだろうかと思う。だから、耳が慣れていなくて聞き取れないし、発音も難しく、日本語訛りの英語はネイティヴでも聞き取りづらいと思う。私の発音も「違う!」とアメリカ人に言われて、何度も練習させられたけど、まぁ何回やっても…アレ?って感じ。ちょっと時間が経つと…アレ?戻っている…って感じ(笑) でも、中国語などは音の種類が多いから、発音も日本語話者よりはるかに綺麗。
 
でも、フランス人がイギリスでもフランス語を話すように、この際、日本語を貫き通すのもありだとか思っちゃうけど。日本語が書いてある製品は、高品質って思ってもらえるみたいだし(笑) でも、日本人は平和ボケしているから、カモにされる可能性もなくはないけど。

マレーシアという国は本当にゆるふわか?

マレーシアという国は本当にゆるふわか?

そんな疑問が、ふつふつと私の心の中に湧き上がる。

 

マレーシアは、テキトーだという印象がある。何でも許されるという印象がある。

 

それは、やはり駐日マレーシア大使館の電話が一切繋がらないという話(私はそれを回避するためにお金を払って代理人に頼んだ)を聞いたり、

 

あと、一番大きいのが、遅刻の時間の幅が30分以上であり、それは遅刻のうちに入らないということだ。

 

「マレーシア人は、決まりを守らないんだ」とマレー人が言うし、実際に信号も飾りのようなもので、道路が駐車場とまで言う。だから、私は『ここでは決まりは無視していい』という認識でいた。

 

そうしたら、なんと、図書館を追い出された。

理由は、私がショートパンツを履いていたからである。大事なワークショップがあるし、寮はバスに乗らないと帰れないので、私は行かせてくれと懇願した。しかし、彼らは非常に厳しい。何がなんでも許さない、図書館に入ったら、腕を掴んで引っ張り出すぞ、と言わんばかりの空気をまとっている。

 

大学内で服装に決まりがあることは知っていたけれども、それでずーっとキャンパス内をウロウロしていても、何も言われないのである。だから、この決まりはあってないようなものだと思っていた。

 

そうしたら、衝撃的なことを先生が言い始めた。

ドレスコードが大学にあって、学生の中には短パンにノースリーブを着ている人がいることも知っているけれども、私はそれを見ていないことにしている」・・・・って、苦笑いをして言う。

 

え?

そうだったんですか?と衝撃的である。まさか先生が見て見ぬふりをしていたとは知らなかった。

 

研究者というのは、その職業柄、神経質なところもあるけれども、でもそれ以外では比較的寛大だと思うこともよくある。この先生はマレーシアに出会った先生の中で一番厳しい先生だけれども、気づいていて黙っていたのか、と思った。まぁ先生にはそこまで教育する責任もないし、雰囲気的にドレスコードなんてあってないようなもんだしね。だって、ここ暑いじゃん(笑)

 

ということは、先生の授業中に学生がお喋りしまくりなのも目をつぶっているということか・・・でも、それってどうなの? って思うけど(笑)それは学生の自己責任という考えか、あるいは研究の方に集中する先生で、学生に興味がない可能性もある。

 

で、なぜ先生がこんな話をしたかというと、マレーシアではテストは教室ではなく、大ホールで行われる。その会場のスタッフがめちゃくちゃ厳しく、短パンで会場に入ろうとした留学生が入場拒否をされたそうだ。

 

あー、つまり、図書館でのアタシね、と思った。

 

なんで、ここでめちゃくちゃ厳しいのだろうかと、ちょっと不思議である。政府系は厳しいのだろうか? だったら、国立大学のこの大学ももっと厳しそうなものだけれども、日本と比べるから、ゆるく感じるのか? いや、でも、図書館の厳しさは警察の尋問並みではないかとさえ思う。

 

『待てよ? でも、マレーシア人って、そもそも決まりを守らない』って教わったけど・・・オリエンテーションでは、マレーシア人は時間に寛大だから(目をつぶってくれとか)・・・って、あれ??

 

なんなんだ、ダレーシア?

 

まぁ、情報統制とかもする国は、それくらいの厳しさがないとダメなのかな?とか、とんでもない考えにまで発展する。

 

マレーシア人のように大らかになろうと思っている私だけれど、どこまでが許されて、どこからが許されないかというのが、いまだに掴めずにいる。

仕事とメモ。

仕事を覚えるときに、メモを取ることはとても大切なことだと言われている。私が通っていた国語塾ではメモを取ることを徹底させており、先生の板書以外でも先生の話から必要な情報をメモするようにと言われていた(その中で自分の気づきや学びを書くともっといいと思う)。先生が、メモを取る習慣は仕事をするときにも役立つからとおっしゃっていた。

 

テレビ番組でメモを取る人とそうでない人の学力の差を比べたら、メモを取る人の方が学力が高いという結果が出ていた。

 

私はたくさんの人と仕事をしてきたが、いろいろなタイプの人がいた。

 

 

 

私は、一度教えてもらったことをもう一度聞いたら「言ったでしょ」ってブチ切れる女性が先輩だったことがあった。私は教えてもらったことは分かっているしメモも取っていた。でも、メモを参照していると時間が掛かるし、仕事がサクサク進まないし、何より人を待たせる可能性があったので、手っ取り早い手法として同じことであっても聞いたのだが、恐かった、この人の言うことは一字一句漏らさずにメモして、二度とこの人に聞くまいと思ったものであった。

 

明らかに本人の手抜きでメモをしない人もいる。同僚がそのタイプで、私が全部メモっているということを分かっているので自分ではメモをしないで、毎度私に仕事のやり方を聞いてくる。

 

ただ、この場合には叱ることができなかった。これは相手の性格もあっただろうと思う。なんとなく叱らない方がいいと私が判断したのか、言いづらかったのか、年上だから遠慮したのか、相手の様子を探っていたからか、ちょっと分からないけれども、結局彼女にはこの点について指摘をせずに、何度も何度も同じことを教えた。

 

このときには、恐らく、一度仕事を覚えてしまえば、後はこちらに質問をしてくることもなくなると分かっていたので、相手を無理やり動かすよりも、教え続けて覚えさせればどうにかなると思っていたのだろうと思う。その方が人間関係もやりやすいという判断であった。

 

しかも、仕事を覚える気がまったくない人だったので、ミスを多発する人であった。それで、私は相手の仕事をコッソリ分からないように横目でチラチラ見て、間違える直前くらいに彼女のもとに行って、これはこうだよ、と修正していた。

 

正直、相手を変えることは難しいので、こっちのやり方の方が確実ではあったと思う。

 

ただ、自分が上司で、なおかつ自分が忙しければ、自分に教育責任があり、一度教えたのだから、自分のことは自分で解決してくれと突き放すだろうと思う。それが本人のためでもあるからだ。

 

逆に、メモを取っても、メモを取ったことに関しての記憶が薄すぎて、実際に自分が仕事をするときにメモを参照できない人。これは、本人の記憶力の問題で、怒ってもどうにもならないので、私は何度も何度も同じことを教えるのが一番の近道である。

 

ただ、メモを取るのが正解だとも限らなかったりする。もともと知っていることをメモる必要はないし、脅威の記憶力を持っている人はメモを取る必要はない。というのも、一切メモを取らない人がいたので、黙って様子を見ていたのだけれども、教えたことをすべて完璧にこなすのである。勉強は嫌いなようなので、知的な作業は嫌なようだが、頭の作りがいい。普通の人よりも何倍も速く仕事ができる。

 

書いたことを忘れる人、書かなくても覚えている人、ヤル気のない人、人の脳や仕事のやり方にも個性があるものだ。生まれ持ってのものもあるし、教育や環境などによって培われたものもある。

ダレーシアの華麗なる一日

スタディ・ルームの前で、5ショットくらい撮って、やっと一枚見せられるものを撮れました。どうも、ナルシストです。

今日の夜の話から始まります。

宿題を当日の0時4分に開始し、中だるみし続けながら、3時くらいに完成したものの、タクシーがなく、帰れないという絶望感に襲われていました。

まぁ徹夜くらいどうってことないか、と思い、スタディ・ルームにいたら、謎の電話がかかってきたので、恐ろしくて電話を切りました。

そうすると、”I am here.” (僕はここだよ)というメッセージが届くではありませんか。鳥肌が立ちましたが、いちおう誰か聞いてみました。

「ウーバだよ」

ウーバって、誰? 乳母?
と思ったら、タクシーが目の前にやってきていたようです。どうやら気づかぬうちにウーバを呼び寄せていたようです。

ボルネオ島でのPBLのキャンセルで絶望感に打ちひしがれていた私は、寮に帰れる喜びで全身が一気に幸福感で満たされてゆきました。

「あたしって、幸せもの」
ウーバの車の中から見る景色が、すべて輝いて見えます。

朝。
やっぱり授業に間に合うバスには乗れないのです。10時40分のバスでないと間に合わないのに、10時45分にやっと準備が整うのです。

でも、大丈夫。
私にはウーバがいるから。

他のクラスは30分の遅れなんて遅刻にもならないけれども、さすがに個別指導のプロフの授業に遅れるのは失礼です。

私は11時3分にプロフのオフィスに到着しました。

しれっと「昨夜、メールで課題を送りました」と言ってみました。厳密に言うと今日の夜明け前ですが、昨夜と言うと、ちょっと早めに提出した感じが出ますね。

プロフは、私のメールが見つからないのでイライラとし始めました。私の提出がギリギリなのは全然なんとも気にならないらしいです。

でも、「にんげん」だもの、イライラするときって、あるよね?

でも、帰るときに、タミル語で “Nandri” (ありがとうございます)と言ったら、ごきげんナナメのプロフも笑顔になりました。

終わり良ければ全て良しという格言を体感できました。

次の授業のあいだまでに寝てしまいそうだと思ったので買い物に行きました。
そう、いちおう、面目上、この写真は私の顔を映すために撮られたものではないのです。帽子を見せびらかすためです。

「ピンクのりぼん」と言いましたが、ありませんでした。
でも、結果、それで良かったと思います。もうピンクのりぼんが似合う年齢ではないのですから。

私は、毎日毎日柑橘系のフレッシュ・ジュースを飲むことで有名です。今さら美容もくそもありません。ただただ、酸で体内を刺激したいという欲望を満たすためです。

それで、パイナップル&レモンのジュースを頼みました。

店員がパイナップルの臭いを嗅いでいます。まな板が黒ずんでいます。でも、今さらもう何も気になりません。

カットするのに15分はかかったでしょうか。私なら3分でやります。日本人ならブチ切れること間違いなしです。

でも、いいんです。私の他に客はいないのですから。私の時間が消費されるだけです。

途中で女の人がやってきて、驚いた顔をして、マレー語で何か言いました。ジュースの味見をしたので、私の推測ですが、

「レモン2個って、多くね?」

ということだと思います。いいんです、いいんです、私はレモンを丸かじりする女ですから。

「サンキュー」と言って、ジュースを持ち上げると、どばどばどばっと足にジュースがぶちまけられました。

「あ・・・・・・・・・」
店員と、私の間に気まずい沈黙が流れます。


「アハハっ」
わたしは笑いました。

それでも、店員は微妙な表情をしています。

「えへへっ」
私は笑い続けました。

もう今さら怒るも困惑するも何もないのです。想定外が日常なのですから。

私は溢れたジュースを一人で拭き取りました。
「ああ、これは日本人らしさだろうなぁ」とか思いながら。

日本人の店員だったらすっ飛んできて拭き取り、新しいドリンクを作るでしょう。でも、私はそういうことを求めるつもりで言っているわけではないです。ただ、違いを述べているだけです。

彼女はとても申し訳なさそうな顔をしてアタフタとし続け、私がほとんど拭き取り終わった頃に「そのままでいいですよ」と言い、でかいティッシュを持ってきました。

これは、申し訳ないと思いつつ、うろたえて考えて、彼女が出した結論だろうと思います。

そして、彼女は私のカップに、もう一枚カップを重ねました。

「どうして、ジュースが溢れたのかしら?」
私は聞いてみました。

「カップの底が破れていたのです」

マジかよーーーーーーーーーーーーーーーw
プラスティックで破れているとか見たことねぇw

ああ、これは貴重な経験だったんだなと思うと、また一つ経験値が増えたような気がして、気分がよくなりました。

「あらそう。ありがとう」
と言って、私は微笑を浮かべて去りましたが、彼女は最後まで申し訳無さそうな顔を崩しませんでした。