信頼とは何か。

「誰か信頼できる人はいるか?」
アドバイザーに問われた。
 
しかし、信頼できることと、心を開けることと、悩みを打ち明けることと、そして、その悩みを相手が理解できるかどうかは、全く別の問題である。
そもそも、利害関係がないから信頼できるという場合もあって、深く入り込めば信頼できなくなる場合もある。
 
アドバイザーがこう聞いたのは、私がカウンセラー、医師などの担当者に自分の問題解決を委ねるつもりは一切ないと言ったからである。
「君は、カウンセリングが嫌なのか、それとも、特定のカウンセラーが嫌なのか、どちらなのだ。」
「特定のカウンセラーです。彼女は悪い人ではないですが。」
「医師はどうなのか。」
「医師は、私が自分で問題を解決できる能力があると思って、処方しかしませんが、薬は飲みたくないと拒否しました。」
「Aさんが担当だが・・・」
「Aさんは、一応アドバイスはくださいましたが、彼女はそもそも人間の複雑な心理というものが分かっていません。アドバイスを押し付けて終わりなのですが、一応、彼女のアドバイスの通りにしたら、ますます状況が悪化して、それを見たBさんが、専門家ではない彼女のこのアドバイスは安易で危険だと言いました。」
 
「これは、専門家じゃないとアドバイスできないからな。誰か信頼して相談できる人はいるか?」
3人の女性の名前を挙げたけれども、癒やされるというだけの話で、物事の根本的な解決にはならない。
「信頼はできますし、話はしますが、打ち明けることはできません。」
 
「同じような悩みを経験した人に相談できるといいのだが・・・」
恐らくいないと思うし、いたとしても、悩みの種類が違うだろうと思う。私の場合は、ホームシックとか、文化に適応できないとか、そういう物理的な問題ではない。最近、人間関係のトラブルに2つほど関わったが、これはいくらでも対処でき、解決策はいくらでもあり、これらは解決した。それらよりも、ずっと複雑な問題なのである。そもそも、言葉にすることさえも苦しみを伴うし、言葉にできる問題であれば、さほど深刻でもないし、解決したようなものである。
 
「だから、自分でやるしかないんです」と言った。
「どうするんだ。」
「自分の深層心理を分析します。」
 
よく分からないなぁという顔をされた。彼は、私が抱えている問題が分からないから(というか、言っていないから)、たぶん想像がつかないのだろうと思う。
そのときに、自分の過去の経験と、最近見た夢が頭に浮かんだ。自分の心の奥底の恐怖感の原因、それが私の行動に与えた影響が見えてきたような気がする。
私に1番必要なのは「安心感」である。そんなことは分かっているけれども、それが無理なので、それと上手く付き合うしかないのである。
 
フロイトシェイクスピアにだったら、打ち明けたかもしれない(笑)