トラウマと向き合う。

トラウマと向き合う。
 
何だか、トラウマというと深刻な感じがする。でも、過去のことがフラッシュバックし、様々な恐怖感に駆られてしまうのは、やはりトラウマなのかもしれないと思い、仕方がないのでこう呼ぶことにした。医師には、そう診断されていないし、そもそもこの話自体をしていない。話すつもりはない。
 
このトラウマというのは、レイプ未遂とは直接的な関係はない。あれは、クソくだらない男のバカげた行為であるから、傷ついたといっても、ある程度割り切れる。家のことでも相当傷ついたが、あれも対処方法を身につければいいだけの話で、トラウマになるものでもない。
 
私は、このトラウマの原因とまったく同じ現象が起こることも、今後想定はしている。恐らく、私はこれまでの経験を踏まえて、バージョンアップした私で戦うであろう。気力があるかどうかだけが問題であるが、私は恐らく戦い抜くであろう。しかしそれが分かっていても、やっぱりあの苦悩を再度経験するのは相当キツイことが分かっているから、とても怖い。
 
一方で、このトラウマ的状況が起こったおかげで、私はより深い人間の感情を知ることができ、より深くを洞察することができるようにもなった。自分が、哀しみゆえに汚い感情に冒され、冷酷になった過程も、しっかり我が身で経験し、それを克服してきた。それゆえに、人間に対する理解がより深まったのも事実である。この点において、私はいくら辛くとも、この環境に感謝しているし、生涯を通じて、これをいい方向で活かしていきたいと思っている。
 
 
シェイクスピア名言集が、私の心の栄養素である。それは、彼の言葉が、苦悩を経た上に生まれたからである。私も、苦悩を経た上で、何かが生まれるのであればーそれが言葉だとは限らない、人間的な深みとかであるーそれでプラマイゼロではないかと思う気持ちになれるのだ。もちろん、それが生まれるかどうかは、私の努力と力量次第であるから、苦悩を経て、私は成長する強い意志を持ち、努力せねばならない。
 
私の心が輝くためにも、私はこのトラウマを乗り越えたいと思っている。どうすればこの傷が癒やされるのか? その答えを探すために、「精神分析」という古典を開くこととなった。
 
 
私は社会貢献を目指していたはずだが、この行為は純粋に自分のためである。これをきっかけに、精神科医になろうとは思っていない。私はそもそも医師になるだけの能力を持っていないからである。物理や化学の知識が甚だ欠落しており、それを埋めるのには時間がかかるため、その時間を違うことに使って、社会貢献に繋げていきたいと思っている。ここは、能力がある人間に委ね、自分の持っている特性や能力の限界を知り、その範囲内で生きていくのがいちばん良いかと思う。
精神分析入門 (上巻) (新潮文庫)

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