言葉で心を掴む。

「君は、男に愛想をふりまくな」と、同時期に二人ほどから注意されたことがある。
何故かと言うと「男が勘違いをする」と言うのだ。
 
こちらは好きだとも会いたいだとも言っていない。でも、私の言葉遣いが非常に良くないようである。
同時期に、二人ほどから付きまといにあったので、忠告通りにやめた。気が狂ったかのようなレベルで、私が悩んでいたら「よっぽど君のことが好きなんだね、ふふふ」と、好青年に爽やかな笑顔で言われて、そのときはさすがに閉口した。私は美人とはほど遠いどころか、ブスであるという自覚があるので、なぜ付きまとわれるのか理解に苦しむのだが、周りが言うには、私が悪いようである。
 
なぜこういう話をするかというと、ある書物も読んでいて、私は相手を褒める言葉を大量に持っていることに気づいた。持っているという表現は厳密には違っていて、「相手の美しいところを発見する能力がある」と言いたいと思う。これはある程度は事実であろうかと思う。どの人からも、私は相手の美しさを見出すことができるし、しかも繊細な部分にまで言及するだけの言葉を持っていることがある。それらを口にしていると、相手が私に対して好意を抱くことに繋がるのだろうという結論に至った。
 
それで、私は具体例を考えてみたのだけれども、一人の人間と対峙していなければ言葉が出てこない。吉行淳之介が「セックスアピールあがある」という褒め言葉がいちばん使いやすくて効果もあると言うが、どうも安っぽい。これをもっと相手の特徴と絡めて言葉で表現しなければ、本当の意味で相手の心が激しく鼓動しない。
 
こちらも大昔の話だが、異性が喜ぶような言葉が大量に口から零れ落ちてくることがあった。音楽のように口から溢れてくる。私は別に嘘をついているわけでもなく、ただあまりに機嫌が良すぎたようである。それをすごく幸せそうに私は語るので、なおさらそれがマズイようである。
 
これがまだ若い頃なら体力があるからいいけれども、さすがに私の年齢になると非常に面倒な心持ちになる。しかも、好きな人がいないのであればまだいいが、好きな人に勘違いをされてはなおさら困る。
 
私は、好きな人ができると、このような発言をやめることにしている。