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オードリー・ヘップバーンと感受性。

オードリー・ヘップバーンの伝記を買った。
 
あそこまで成功しながらも、晩年もクスリなどに溺れず、慈善活動をし、ヒドイ死に方をしていないので、この人はそこそこ苦労した人間か、あるいはこのような人生を送れるだけの人間性を持ち合わせていたのだろうと思ったら、やはりそうであった。
 
物事を深く洞察し、彼女の心は傷つきやすくもキラキラと輝いていた。
 
ユネスコの大使として活躍するのは、著名人である自分の使命だと彼女は思ったようである。これは本心からそう思い、慈善活動を行ったのだろうかと思う。
 
 
私は、この伝記物の著者が傷を負い、何かが欠けている人が好きだと書いてあるのを見て、人間とは変な生きものであるなぁと思った。
 
私は、人の目を見ただけで(ときにはしばらくの観察期間を要するが)その人間が物事を深く見る人間か否かというのを洞察する。感受性があるか否か、また、哀しみをまとっているかどうかも感受する。もちろん、これを白黒明確に区別するつもりはないし、それらがどの程度深いかどうかは、ある程度の時間を要することもあるが。また、ほんの一瞬だけで、その人間の本質的な部分を見ることもある。それは優しさだったりである。だから、私が他者を「優しい人間だ」と言うときには、ただの形容詞以上の深い意味を持つことが多い。
 
私は思うのだが、やはり経験や感受性が人間のひとみや人間性に深みをつけるような気がする。要素は経験と感受性の2つだということをここにハッキリと書いておきたい。
 
経験をすれば人格が磨かれるかというと、私はそうではないとハッキリと言える。そうであれば年寄りはみんな人格者であるが、そうではないだろう。
 
しかし、経験があることにより、それを人間的な深みに結びつけることができる。苦労している人間というのは、私も瞬時に察知する。あまり苦労していない人間というのは、いくら優秀であってもその目に深みが出てこないのは事実であろうかと思う。ただ、苦労なく愛情を全身に受けた人間の持つ大らかさや純粋さというのがあり、それは彼らの最大の魅力である。若者たちといると、どこかで解り合えないような深い溝を見ることがある。それは当たり前で、彼らに私の哀しみは想像しても想像しきれない部分がある。それを分かってもらいたいとは思わないし、それは彼らが人生経験を積み、傷ついたり考えたりしなければ了解できないことである。でも、彼らは今しか持ち得ない純粋さというか、パワーというのがある。暗い闇を持たない明るさというのがあり、私はそれに癒やされることがある。
 
ただ、傷つくのは、傷つくだけの感受性があるということである。だから、見た目ではさほど悲劇的な人生を送っていない人間であっても、傷つく能力があるがゆえに、他者以上に深い哀しみをまとうことがある。
 
オードリー・ヘップバーンは、傷つく能力が非常に高い人間であることが書籍から分かる。だから、ナチスに対峙するのであるし、アンネ・フランクの日記を愛読しながら、自分には彼女を演じることができないと思って、アンネを演じることを断るのである。
 
私も感受性が強いとはよく言われることである。これは何も話さなくてもそう思う人はそう思うようである。言語が通じない状態でも相手がそう言ってきたこともある。こちらが相手の目を見て何かを感じるように、相手もこちらの目を一瞬だけ見て何かを洞察しているのだなぁと思うことが稀に起こる。
 
ただ、感受性というのは非常に厄介なものであると思う。
 
感受性というのがあるがゆえに人よりも傷つくし、罪悪感にさいなまれたり、相手の人間性をある程度了解しておきながらも、近づくことを恐れたりするのである。ただ、世の中にはこの感受性をまったく解さない人間というのがいる。そのような人間に対しては、自らの感受性を明らかにしない方がいいような気がする。絶対に相互理解が不可能であるから、私は最初から冷たい心で接する。
 
また、普通に社会人として生活する場合も、感受性の感度を下げておいた方がいい。そうした方が、うまく仕事が進むからである。
 
さらには、ものを伝える際にも感受性というのは要注意が必要である。あまりに感受性を爆発させてしまうと相手はこちらのことが理解不能で自分が傷つくし、それ以前の問題として、自分の感受性が相手に了解されると思って接する方が間違いである。そうすると、物事が伝わらなくなる。なぜなら、相手にそれだけの感受性がないことが多いからである。相手の感受性に期待してものを語ると、何も伝わらない。
 
つまり、ものを伝える際には、冷酷で冷淡な方がいいと思う。少なくとも、私はそのような態度を取りたいと思っている。
 
 
というか、今朝、悪夢を見たことを言い訳に勉強をしていない。徹夜やわ〜