しあわせの共有。

しあわせの共有。

「こんなに買うんですか」と店主が驚きのなかに喜びを包んだような表情を見せた。
「はい。」と、私はなんの躊躇いもなく答えた。

「ちょ、チョット待って」店主が少々動揺した様子を見せる。
「今日、はじめての売上げだから、電卓を探さなきゃ」

夕方の4時くらいであった。
やはり、地方で古書の需要は少ないのかなぁと私は思った。

私は大阪の下町に住んでおり、伝統ある古本屋が近くにたくさんあった。私はずっと同じコーナーを見ていたのだけれども、内容がコロコロと変わっていたし、あくまで私の見解だけれども、客もそこそこいただろうと思う。

テレビで東京の古書店が集まる区域が映っていたが、やはり交通アクセスのいい大都市というのは多様な人が集まり、希少価値の高いものに関心がある人が一定数いるがために、お金が集まりやすく、店舗も安定的に経営ができる。

説明が難しいのだが、少々専門的だったり、利用者が少ないものは地方には集まりづらい。地方の人口がそもそも少ないこともあるが、利用者が少ないものをどうやって楽しむか分からない人もいて、需要が伸び悩むというのもあるかもしれない。

でも、それでもこうやって店と店との合間を縫うように書物が並べられた空間が地方にあることは、本当に嬉しい。

「この本をご存知だったのですか?」
店主が指で示したのは「傑作と凡作の論理」(弘文堂・アテネ文庫)だ。

「いえ、本を眺めていたら、たまたま見つけたんです」

「よく見つけましたね。このアテネ文庫というのは、まだ紙が普及する前から本を出版していてね。この本は紙が普及した後に出版されたのだけど。こういうものが引き継がれていくと嬉しいねぇ」

「弘文堂というのは、歴史関連の出版物を出していませんでしたっけ?」

「今はそうだね。でも、昔は哲学書とか出していたんだよ」

知らなかった。会話のなかでヒョッコリと出てくる、チョット驚きエピソードが、私は大好きだ。

人間は雨風がいつ来るか予測はできても、コントロールはできない。
それが自然だ。

会話も、そんな自然に似ているなぁと思うことがある。人間が自ら会話を築き上げているような心持ちになるけれども、ふと溢れる表情や言葉がある。話そうとは思っていなかった人と話すことになったりもする。

だから、人生って楽しい。

「大事にしてね」と店主に言われたので、笑顔で「はい!」と答えた。

店主の笑顔は、とても柔らかく、「しあわせそう」という言葉がよく似合った。そして、私もすっごくしあわせだった!

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