女性はどう生きたらいいのかしら?

女性はどう生きたらいいのかしら?
と、様々な記事を見ながら考えてしまった。
 
「女性だけがお茶を淹れ、制服を着る日本企業」(クーリエ・ジャポン)という言葉が、この思索の発端である。
 
女性がお茶を淹れる風習は、ブルゾンちえみが、嵐の二宮和也くんに書き下ろした台本にも描かれている。
 
二宮和也くんが女性にお茶を淹れてもらい、「あ〜、男に生まれて良かった」と言う。ここに、日本の男女の立ち位置が見えているように思う。
 
日本では女性が事務や受付をすることが多いので、お茶を淹れるのは女性の役割であることが多い。これは、女性が事務職や受付を好むのか、企業側が女性を選んでいるのかはちゃんと見ないと分からないが、恐らく前者が多い。
 
現在はかなり変わってきているが、会社によっては出社したら女性が男性のお茶を淹れたり、男性が女性にお茶を淹れてくれる?とお願いしたりする場面がある。これは、恐らく、女性が家庭において台所仕事を任されることと関係しているように思う。ただし、男女を違う扱いをしないという風潮が強まっているために、政府系は恐らくやっていないし、企業もそのような風潮により変化が起こっているだろうと思う。
 
まぁ、それは社会の風潮というだけの話であって、どれが正解とかいう話ではないと思う。
 
クーリエ・ジャポンでは、下記のような女性像を理想としていると説いている。
「欧米ではビジネスの場でも恋人関係でも、こうした対等な男女関係が求められます。日本女性のどこか弱々しく受け身な「かわいらしさ」が理解されない原因はここにあるのです。」
 
でも、それなら何故、フォーブスで出ているようなことが言われるのだろうか?
「成功しているビジネスマンは、アメリカ人の収入を得て、中国人のコックを持ち、イギリス人の家に住み、日本人の妻を持つ。
 
・成功していないビジネスマンは、中国人の収入を得て、イギリス人のコックを持ち、日本人の家に住み、アメリカ人の妻を持つ。」
 
 
これらの記事を読んでいて私は考える。「人間は、周りの理想に近づこうとして生きているのかしらね?」と。それは、社会との摩擦や亀裂を避けるためかもしれないし、他者に嫌われたくないという心理かもしれない。
 
私はどうするのかというと、めんどくさいね、正直。
まぁ相手によって見せる表情とか感情って違うから。好きな人の前では照れてるかもしれないし、ふてくされているかもしれないし、相手を目にしてみないと正直自分の反応ってよくわからないよね。