子どもの教育を外部委託するか否か。

乳母についての記述を読んでいる。

上流階級だと乳母に育てられることもあるだろうが、それについて本で指摘されていたことがある。

乳母と言えば、ロミオとジュリエットのジュリエットにも乳母がいるが、その乳母はとても卑猥なことを言うらしい。それでもジュリエットは純粋に育ったと筆者は言う。

まぁあれはシェイクスピアが書いたセリフだから、変態じみた記述になったのだろうね。

また、スウィフトなどは乳母にあまりに可愛がられたお陰で、乳母が誘拐じみた行為をして遠方まで連れて行ったけれども、その乳母の教育のお陰で3歳で聖書が読めるようになったという(しかし、スウィフトはくせ者なので、本人の言うことの真偽は謎だとも筆者は指摘していた)。

日本にもいい乳母がいれば、乳母に子育てを任せるのも1つの手だろうが、日本社会でそうそういい乳母などというのは見つかるものなのだろうか。でも、これについてのいい案件というのを聞いたことがないので私はわからない。

日本でいえば、子どもを中学から有名な中高一貫校に入れて寮生活をさせるという教育手法もある。そうすれば、教育のプロが子どもを育ててくれる。自分の子育て手腕に自信がなかったり、知識人の育て方が分からない教育者は、この道を選ぶのも1つであろうかと思ったりする。

家庭教師という方法もあるが、現代日本の大学生のアルバイトとは違って、18世紀までのイギリスの貴族たちは著名人(アダム・スミスなど)に莫大な報酬を支払って家庭教師をしてもらっていたらしい。でも、アダム・スミスの教え子は大した業績を残していないし、ウォルポールの子どもは、家庭教師を旅に出ている若者よりもバカだと言っていたようである。つまり、家庭教師の質も効果もピンからキリまであったようである。

話が乳母から家庭教師にまで渡ってしまったが、教育というのは実に奥が深いものである。何より、その人の生き方、考え方、人生観、立ち居振る舞いにまで影響するのだから教育の影響力というのは計り知れない。また、正しいか否かも子どもが成長するまで分からぬし、結果の良し悪しの判断も難しく、教育の何が子どもの人格および人生形成に与えたのかの判断も非常に難しい。