古典教育についての考察。

欧州の国の中には古典教育を非常に重視していると聞いたことがある。イギリスのパブリック・スクール(私立)では、かつては日本の詰め込み教育のように古典教育をしていたようで、ギリシア語ラテン語の文法を覚え、キケロなどの比較的簡単な文章を暗証させていたようである。このお陰で優れた古典学者になった人もいれば、大部分の学生にとっては退屈極まりなく、効果がなかったとも言われている。

人によって感性は違うので、1つの教育のカタチを子どもに一斉にやらせて100%成功というのは難しいと思う。一人一人、得手不得手は違っており、能力も違っている。絵に優れた人もいれば、スポーツに優れた人もいるだろう。だったら個別にしてはどうかという話で、家庭教師という案もなくはないが、家庭教師が有能な教育者であるかどうかにもよるし、また教師と生徒の相性というのもある。

日本もかつては漢文の素読や暗唱をやっていた時期があった。松下村塾あたりがこれをやっていたのではなかったか。とにかく、著名人たちが集まる塾にこの手法が用いられていたことがあり、私も漢詩を暗証したら頭が良くなるかと思ってやってみたが、記憶力が悪くて、読んだ先から忘れてしまった。でも、漢字だけで自然を表現されている漢詩が非常に美しいものであるということだけは分かり、感性が磨かれた気がした。夏目漱石が書いた漢詩である。

ただ、あの時代の人達の文章力が優れていたのには、漢文の暗唱が基礎となっているからかもしれないという考えはなくもない。

今では「子どもの自主性」を重んじるというスタイルらしいが、自分で自己を見つめ、周りを観察する力が養われていない状態で、自己を律し、自己をどこかに導いていくということはなかなか難しい作業なのではないだろうかと思わなくもない。